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「助言」は必ずしも「障害」なのか?

今回は前回のテーマに反するテーマかもしれません。今回は「名言や助言が人の心に響くのはなぜ?」です。

私は前回、ただ「聴く」ことが大事だと書きました。この気持ちは変わっていないのですが、自分の文章を読み返して見てひとつの「疑問」が生まれてきました。それは、「他人の助言で『気付き』が生まれることもある。それはなぜか?」というものです。

私は著名人の「名言」や歌のフレーズが大好きです。そんな「言葉」によく触発されることがあります。また、友人からの一言で「答え」が見つかったこともあります。これらは、「聴き方15年」で書いた「12の障害」にはならないのでしょうか?

この疑問の答えを私なりに考えてみました。それは、その「助言」は、他人からの「助言」ではなく、自分の「思い」のなかにあったものだから・・・というものです。J.アレンは「自分の今いる環境は自分の『思い』が作ったものだ。」と唱えています。ならば、その「助言」も自分の「思い」が引き寄せたものだとは考えられないでしょうか?自分の「思い」が「気付きの助言」をくれる(と思われる)相手を選び、その人の言葉を使って、「気付き」を得る・・・ちょっと非科学的な表現かも知れませんが、よく「人に相談する時には答えが決まっている」と言われるのは、こういった理由ではないでしょうか?

私はよく自分の助言を「あなたが選ぶ『答え』の選択肢の一つ」と言います。例えば何らかの問題の解決法を私が答えたとしても、それは「私専用」の答えだと私は思うのです。「私専用」の答えが必ずしも相手の解決策にはなり得ない。それをやってみるか、それとも別の方法を探すかを決めるのは、やはり「相手自身」なのです。このブログをよく読んでくださる皆さんはお気づきかもしれませんが、私は必ず考えを書いた後に「~だと私は思います」と言う表現を使います。その理由はまさしくこれです。私の考え、意見はあくまで私が選択したものであって、必ずしも他の人たちに当てはまるものではないからです。

助言を行う上で大切なことは、「私はこう思う」ということだと思います。相手の考えを否定するのではなく、ましてや、自分の考えこそが多くの人と同じ考えだときめつけるわけでもない・・・唯一つの「パターン」としての「助言」その助言は「12の障害」の「助言」には当てはまらないと私は思います。

何事にも「光と影」があると私は考えます。「助言」という行為にもそれは当てはまると思います。大切なのは「相手主導」の考え。基本は相手から「答え」が出てくるのを待つ「傾聴」。しかし、相手が、ひどく混乱していたり、今すぐ何かのヒントを求めているときには、相手の「思い」を整理したり、相手にとっての選択肢になるような「助言」を提示してみる。でも、あくまで自分の「答え」を選ぶのはその人。私は「傾聴」と「助言」の使い分けをこのように考えます。これが難しいのですが・・・(苦笑)

さて、あなたはどう思いますか?

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