カウンセリングサークルワイズ » » ブログ

死闘

先日の早朝3時半。

相変わらず夜型人間の私がそろそろ寝ようかな~なんて思っていた時。
我が家の末っ子猫ちゅらが突然部屋の中を走り出した。
何をやってんだこんな時間に…と思って目をやると…ちゅらに追われていたのは…。

ムカデ!!

「危ない!やめなさいっ」と、まずちゅらを別の部屋を閉じ込めて。
さぁ…どうする?
テーブル代わりのコタツの天板側面に貼りついてるムカデ…10センチはある…。
当然このままにはしといたら…私が噛まれても大惨事…猫が噛まれても…やっつけるしかないよね…。
どうやって?
あかん…恐すぎる。
でもやるしかないわな…。
何かで挟んで外に放り出す…。
挟むものって箸?
いや~短すぎるやろ…さい箸持ってムカデの所へ。
シュミレーション…あかん…先っぽ隙間あくやん!

ムカデ…怒らせたら噛むらしい…って…絶対怒るやろ!何かで挟んでも殺虫剤かけても、とにかく何かしたら怒るでしょ。

テンパった時の思考回路は怖い…。
今、動いてないうちに一気にやるしかない。
フォークで突き刺す?
包丁でたたき切る?
でもそんなんしたら暴れ倒すやん…滅茶苦茶うねうねされたらますます恐いし。
う~ん。
…ゴミ袋!
そうや!ゴミ袋に閉じ込めて捕獲したらええんや!
ムカデとにらめっこしながゴミ袋の口周りにガムテープを貼って…ムカデを囲い込む。
でもまだムカデは動かず。
テーブル側面からビニールの中に落ちていただかないと前に進まない。

ここで箸登場~。
下に落とすべく箸でつついたら…横に動き出しガムテープの中を進んで逃げようとしだした~!
まずい!!
ガムテープ通過されたら水の泡やん!
とりあえずガムテープの下くぐって出てこられたらあかん!
ごめんやけど、動きがガムテープのおかげでゆっくりになってる今やるしかない。
うりゃ~!… …

何とか捕獲。
すでに1時間以上経過。
私の額からは冷や汗がしたたり落ち、寝間着はびしょびしょ。
部屋中、箸にさいばしにフォークに包丁にガムテープが散乱。

…勝ちました…

同じ命

3月末から個人的に追いかけてる被災動物の問題。

うちにも5匹の猫いるからね。

来る日も来る日も考えるけど私には全然わからない。

福島原発警戒区域に置き去りになった動物達。

食べる物も飲む水もなく、それでも生きようと頑張ってる命がある。

何故この国は放っておくのか?

私は思想家でも何でもない。

でもおかしいものはおかしいよ。

同じ「命」…生きているから痛みも苦しみも寂しさも感じているのに。
何故救おうとしないのか私には全然わからない。

どうか1つでも多くの命が救われますように。

2011年5月28日(土)

ライフサイクル②~基本的信頼の獲得~

今回のキーワードは「基本的信頼の獲得」です。基本的信頼とは、具体的に何とは説明のしにくいものです。これは、自分自身が「生きるか、死ぬか」といったレベルで悩みぬくような状態に陥ったときに、心の最も深いところで「自分はそこそこ信じるに足る人間である」と思え、最後には「自分はこれでいいのだ」と肯定できる感覚の事を言います。

別の言葉で説明すると、人間が自分の事を認める事ができる「I’m OK」という感覚ともいえるでしょう。エリクソンはこの「基本的信頼の獲得」を生後約1年間で獲得すべき「課題」だと言っています。

では、この「課題」はどうやったら獲得できるのか?

それは、「質的に良好な母性関係」が築かれる事が重要です。「質的に良好な母性的関係」とは、乳児が求め、親が満たす。満たされた様子を見て、親自身もまた満たされるという相互体験の繰り返しである。とエリクソン達は言っています。

つまり、乳児だけでなく、親も相手から「You are OK」をもらい、そして相手に「I’m OK」を与える相互体験がその子が「基本的信頼」を獲得する一番の方法なのです。

つい先日、私の友人の父親が他界されました。その友人は深い悲しみの中で私に電話をくれました。私は正直言って、慰めの言葉も励ましの言葉もかけられませんでした。そんな電話越しのの言葉よりも「父の死」という現実の体験の方が私には重く感じられたからです。しかし、友人は私にこんな気持ちを話してくれました。

「私は嘆き、悲しむよりも、父と母の自慢の娘だと胸を張って生きて生きたい。」

私は、これこそが「基本的信頼」というものではないかと思いました。父と母がこの世に産んでくれた「自分」という存在を何よりも自分が「認め」誰よりも、「自分はこれで大丈夫」と信じ抜ける力。これこそが「基本的信頼を獲得」した姿であり「I’m OK」の形なのではないでしょうか?

世の中には私の友人のように「基本的信頼の獲得」に成功した人もいれば、生まれてきたことを疎まれ、「You are not OK」を与えられて、それの獲得に失敗した人もいると思います。ここまでの文章を読んで「自分はそうかもしれない」と感じた人もいるかもしれません。

しかし、この「ライフサイクル」の考え方では、それは「必ず取り戻せる」といっています。この課題は後々の貴方の成長の中で形を変えた「課題」として貴方の前に現れます。そのときにこれに気づき、獲得することで、貴方はまた一段と「人間」として成長することができるのです。

最初にも書いたとおりこの「基本的信頼」というものは心の最も深いところにあるものなので、常に感じたり、簡単に探し出すことはできません。しかし、私は大抵の人たちが、この「基本的信頼の獲得」に成功していると思っています。

ライフサイクル

「ライフサイクル(life cycle)」と言う言葉を日本語に当てはめて表せば、「生涯発達」と言う言葉になります。この言葉を最初に提唱したのが、エリクソン(Erikson,E.H)という学者です。エリクソンは精神分析的自我心理学の理論家であると同時に臨床家、心理・歴史学者でもありました。彼は著書自我同一性―アイデンティティとライフ・サイクル
の中で、「成長することとは、各発達段階での課題を達成することだ」と考え、人の成長段階を8段階に分けて、その各段階で目立って成長する部分を「斬成説図表」にまとめました。

なぜ、私が、この「ライフサイクル」を皆さんにご紹介しようかと思ったのかといいますと、私は今後の自分の人生やカウンセラーとしての活動の中で、この「ライフサイクル」の考え方を軸にしていこうと思ったからです。

なぜ、そう思ったか?

私は今まで「人は生まれて成長し、成人にまでなると、後は衰えていって『死』を迎える」と思っていました。しかし、エリクソンは「人は『死』を迎えるまで、成長していく」と言っているのです。事実、エリクソンはその生涯を終えるまで、「ライフサイクル」の理論を考え続けていたようです。

これは、私なりの「ライフサイクル」の理解の仕方なのですが、エリクソンが言いたいのは、人が心身ともに成長していく過程には、いくつもの「宿題」があるのだと。その「宿題」はその段階の自分自身には、簡単に解ける問題ではないのです。でも、その「宿題」を悩んだり、本で調べたり、人に聞いたりして考え、解くことによって、自分自身が「人として」成長できるんだよ。ということなのでは?と思っています。「人間は一生が勉強」と言われますが、エリクソンの言いたいことも、そうなのだと思います。「肉体は衰えていっても、精神の発達は続いている」そう思うと、今、悩んでいることも、それは自分が成長するために必要な「宿題」だし、それは、解けない問題ではないのだと、私は考えます。「答え」の無い宿題なんて、今まで見たことはありませんよね?

でも、その「宿題」は自分だけで解くのはやはり難しいのだと思います。やはり、いろいろな所からヒントを得て、「自分の答え」を見つけ出さなければならないと思います。私はそんな「宿題」を抱えてる人達に「答えを押し付ける」のではなく、「ヒントを与えられる」家庭教師…もとい、カウンセラーを目指したいと思っています。

これもまたカウンセリングのひとつかもしれません・・・

今回のテーマは、「カウンセラーは、ただ共感し受容すればいいのか?」という疑問です。

私のこの疑問に対する答えはこれまでの記事にちらほら出ているようなのですが、ここでまた「まとめる」という意味も込めて書いてみたいと思います。

いきなり私の答えを書かせていただくと「カウンセラーはクライアントの存在を受容した上で小さな『きっかけ』を提供していくべき」だと考えます。前回も最後の方に少し書きましたが、他人に「悩みを相談をする」という行為はそれ自体が問題解決の為の大きな「第一歩」だと私は考えています。そんな素晴らしい「勇気」を持って相談に来ていただいた方に「次の一歩」を一緒に考え、提供していく事もカウンセラーには必要なのではと私は考えます。

ここで勘違いしてはいけないのは、あくまで基本は「クライアント主導」であることです。クライアントが「いやだ」といえば、その「次の一歩」の試みはやる必要はないのです。そして、その「次の一歩」の試みが失敗したとしても、それはそれでかまわないのです。それを失敗したからといって、その人の存在が否定されることは絶対にないのですから。そもそもこの「試み」に「失敗」はなく、その人のその行動こそが大切で、それは「問題解決」という目標への大事なプロセスなのです。

私たちカウンセラーはクライアントと一緒に悩み、考え、そして「次の一歩」への試みを一緒に模索していく事だと私は思います。クライアントが試せる「選択肢」を増やす事ができるカウンセリング…正直「この方法がいい方法です!」と勧められない私が情けなくも感じるのですが(苦笑)こんなカウンセリングもひとつの方法ではないかなぁと私は考えます。皆さんはどうお感じになったでしょうか?

多角多面の繋がり・・・

「人の繋がり」について書いてみようと思います。私達の周りにはいろいろな「人の繋がり」があります。家族、親族、学生時代の友人、仕事仲間などなど…しかし、私たちは自分に最小限度必要な「人の繋がり」のなかで生きているのではないか…と最近の私は感じたのです。

私の場合で言えば、やはり、カウンセリングを一緒に学んできた仲間が一番近くにいるように思えます。なんといっても、こういった「心」を話題にした話が盛り上がりますし、その問題に対する私の苦労も理解してくれます。

しかし、最近はそれだけではいけないと感じるようになりました。私はもっと他の業種、「カウンセリング」という言葉とは無縁のような人達とも話を繋がりを持つ必要があるのでは?と考えたのです。

カウンセラー同士が話せば、お互いの専門知識の中で相互理解も早いでしょう。しかし、私達が本当に「カウンセリング・マインド」を伝えなくてはいけないのは、「心の専門知識を持たない人達」なのです。何一つ専門知識のない人に、専門用語を並べ立てても「????」となるだけです(笑)大切な事は私達の持っている知識をいかに噛み砕いて、理解しやすいように伝えるか?だと思います。

その為にもいろいろな人と話をして、自分と他の人との「ズレ」を修正していくことはとても大事だと私は思います。

「人の繋がり」としてもうひとつ大切だと思うのは、「異業種間の繋がり」ではないでしょうか?

この理由も先程と似ているのですが、私達は「物事をいろいろな角度で見つめるようにしなさい」と教わりました。ひとつの視点だけでなく、様々な角度から物事をみることによって、大きな問題に見えるものも意外にそれほど大きくないように見える時もあるからです。

これは職種でも言える事だと思います。カウンセラーから見た視点と、医者から見た視点は違うでしょう。また、整体士や栄養士から見た視点も違うかもしれません。また、BARの熟年マスターから見た視点もきっと違うものになるでしょう(笑)そういった私以外の様々な視点を持った人達との「繋がり」もとても大切なものなのではないかと私は考えます。

クライアントが問題を抱えて私の元に尋ねて来てくれたときに、「カウンセリングだけで直す!」という固定概念をもってしまうのではなく、私の周りにある様々な「人の繋がり」でクライアントに一番適した問題解決のきっかけを準備してあげられたらいいなぁと考えています。その為にも「異業種交流」をもっと深めて、お互いが上手に「利用」できる関係を作る努力をしていかなければなりませんね。

このブログも私の「人の繋がり」の大きな一部分になってくれると嬉しいなあと思います。

人はまったく同じではないからおもしろい

私は今までの生涯で一度も「自分は凄い人間だ」と思ったことはありません。何かに優れているとか、これだけは他人には負けないと強く感じた事は一度もありませんでした。そして、そんな自分に一つの「劣等感」のようなものを持っていたように思います。

しかし、カウンセリングを本格的に学んだ今は違います。私が大した人間ではないという考え方に変わりはありませんが、「劣等感」はあまり感じないようになりました。それよりも他人を「凄い」と思える気持ちが強くなってきたのです。私の周りにはいろんな人がいます。私が持っていない能力や欲しいと思う能力、これは多分一生かけても私には手にいれられない能力を持った人たちです。私は他人に「劣等感」を感じるよりも他人の「素晴らしさ」を見つけることができるようになったのです。

人は必ず何か他人が「素晴らしい」と思える能力を持っていると私は考えます。(それが時には悪いことに働いてしまうこともありますが…)私が持っていない能力を持っている他人は「凄い」。その能力をねたんだところでその人のその能力が消えるわけでもありませんし、自分に手に入るわけでもありません。それよりもその能力を「素晴らしい」と認め、自分にも手に入れられそうな能力ならば、その人をよりよく研究するべきです。私は「人の成長は真似から始まる。」と強く信じている人なので、「凄い」と思った人の能力はできるだけ真似をするようにしています(笑)それが自分のものになるかどうかはまた別の問題になってしまいますが、真似ができなければ、それはそれでやっぱり「凄い」になってしまいます。

私はカウセリングルームを訪問してくる人達は「凄い」と思います。その人達は今でも充分に苦しいのに、それでも自らその状況を改善しようとカウンセリングルームへやってくるのです。他人に連れてこられたとしても心の中に少しでも「何とかしたい」という思いがあるから一緒に足を運ぶのです。私はその「勇気」は本当に「素晴らしい」と思います。私もそんな「勇気」を持った人たちの手助けができるようにその問題に「勇気」を持ってぶつかれる、カウンセラーになっていきたいと思います。

「思い」を「言葉」に変換することの大切さ

「思いを言葉に変換することの大切さ」について考えていきたいと思います。

私自身がそうなのですが、よく自分の頭の中だけで考えをまとめようとしてしまう人がいます。ある悩み事を自分の頭の中で考えて、考えて、考えつくした挙句、答えが出ずに、鬱になってしまう人も少なくはないようです。私もカウセリングを本格的に学ぶまではそうでした。(とはいえ、その癖はまだ残っているのですが…(苦笑))皆さんはどうでしょうか?

もし、今挙げた「心のクセ」があると思われた方には、「思い」を「言葉」にすることをお勧めします。

「思い」を「言葉」にするとは、自分の中で考えていることを口に出してみたり、文字や文章にしてみたりしてみるということです。

「頭の中で考える」と「言葉や文字にして考える」は何が違うのか?

それは、「思い」を「言葉や文字」にする事で、自分の「思い」を「客観的」に見ることができるのです。「思い」が「言葉」に変換された時、その「思い」はあなたの心から切り離されます。その「思い」を目で見て、耳で聞くことで、意外にも「答え」がポンと出てくることがあるのです。

やり方はどんな方法でもいいと思います。私はよく思いついた単語を書き出す方法をとっています。それを一晩たってから見てみると、意外に何に悩んでいるのかとか、一番の問題点などが見えてきます。

私たちカウンセラーは「クライアントの『鏡』」になりなさいと言われます。それは、私が紙に単語を書き出すように、クライアントさんがカウンセラーに「話す」ことで、自分の「思い」を客観化し、整理していくのです。とても信頼できる友人に話をするだけで「答え」が出てくる現象と同じですね。

「思い」を「言葉」に変換する事。一見、面倒臭そうで、意味がなさそうですが、何か考え事があった時にちょっと試してみてもらえるとうれしいです。

人は常に優しくなくてはいけないのか?

「人は常にやさしくなければいけないのか?」ということについて考えてみたいと思います。

「カウンセラー」もそうですが、先生や介護士、看護士など、人にかかわる人には「人に対して優しい」というイメージがひとつあるように私は思います。また、職業にかかわらず、「人がよい」人は常に優しい、柔らかい存在でいる…と思われがちです。しかし、そんな人たちにも、当然のように機嫌が悪い日や、調子の悪い日、自分の心に余裕のない日もあります。私もそうなのですが、そんなときにまで、「いい人」を「演じる」のは、正直、労力のいるものです。「人に常に優しくしていなさい。」これは、かなりの人が、親や年上の人達に言われてきたことではないでしょうか?しかし、現実として、毎日、常に、人に優しくいることは難しいと私は考えます。

では、どうしても人に優しくなれない時、私たちはどうしたらよいのでしょうか?

これは、正直、難しいですね(苦笑)方法は人それぞれ、いろいろあるとは思いますが、やはりひとつは「自分の状態に素直であること」ではないでしょうか?機嫌が悪い、気持ちに余裕がない自分をまずは素直に受け入れること。これが大事な事のように私は思います。自分の「今」の状態を受け入れられずに「私は優しくなくてはいけない」と思い込んでしまうと、それがストレスになり、余計に人に対しての態度が、きついものになってしまいます。「自分は今心に余裕がない」という事を自分自身がしっかりと認識した上で、相手によっては、今の自分の状態を正直に話し、「今は優しくできないと思う」と素直に伝えるのも方法のひとつでしょう。あえて、その日は、少しだけ人との接触を減らすこともひとつの手段だと思います。その時の為に自分の中に対処法を持っておく事は、よりよい人付き合いを続けるためには必要なことだと私は思います。

しかし、時には、そんな状態のときにも、人に優しく接しなければならない時はあるでしょう。その時はできる限りエネルギーを使って、自分のマイナスの気持ちが相手に移らないように努力しなくてはならないでしょう。そんな時は、必ず、がんばった自分にご褒美をあげて下さい。方法は人それぞれでいいと思います。ただしその時に使った莫大なエネルギーはしっかりと補充しておいて下さい。そうしなければ、「心に余裕のない」状態が長引いてくるかもしれませんから…

前回の「ライフライン」の話と重なってしまいますが、誰にでも、調子の良い時、悪い時はあります。自分の調子が悪いときは、自分に優しくしてあげることに重点を置いてあげましょう。そして、また調子が戻ったときに、人に優しくできればよいと、私は考えます。

人生楽ありゃ苦もあるさ・・・

今回は「ライフライン」と言う考え方のお話をしてみたいと思います。この「ライフライン」とは、自分の今までの人生を折れ線グラフに表してみて、客観的に見てみようというものです。

もう少し詳しく説明すると、横軸に自分の年齢を書きます。そして、縦軸は真ん中をゼロとして、上にプラス(数値は自由です)下にマイナスで数値を記入します。この数値はそのときの自分の状態を数値化したものです。楽しかったらプラスにかなしかったり、辛かったりしたらマイナス…といったかんじです。

この「ライフライン」には、大きな共通点があります。それは、ほとんどの人が、「あがったり、下がったりを繰り返している」グラフを完成させることが多いのです。最近流行の株式のグラフの同様と書けば、イメージもつきやすいでしょうか?

これは、何を意味するのか?

それは今回のタイトル「人生は楽もあれば苦もある」と言うことではないでしょうか?人は誰しも調子の良い時もあれば、悪い時もあります。どんな天才にも、どんな権力者にもそれは当てはまると思います。「ライフライン」が上り調子であり続ける人はいないでしょう。そして、下り調子の人もまたいないのです。

この「ライフライン」でみられるもうひとつの特徴として、下がり調子の時には、下がりながらも上に上がろうとする動きが見られることです。この動きがある時期が、私たちにとって、一番辛い時期に当たるようです。

「心の病」にかかる人たちには、この「下り調子」になっている人達が多いのではと、私は考えます。しかしこれは、次に「上がる」時にとても大事な事だと私は思います。「下がり調子」の中で、いっぱい悩み、いっぱい苦しみ、いっぱい考える事で、次に上がるときの「大きなエネルギー」を溜めている。より高くジャンプするためにグッと力を溜めている状態ですね。それゆえに、「心の病」を克服した人は「強い」と私は思います。そして、今、その状態にある人達にも「絶対、上がり調子が来るから大丈夫!」と思っています。日本の経済も「底を打った」と言われています。私たちの人生の不況にも必ず「底を打つ」日が来ます。私自身としては、この「下り調子」を思いっきり利用して、次はもっと高く上がれるようになりたいと思います。そして、一生懸命「下り調子」のなかでエネルギーを溜めている人達の大きな成長のお手伝いができるカウンセラーになりたいと思っています。

Page 1 of 1112345»...Last »

カウンセリングサークルワイズ » » ブログ