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あなたは主体的に生きていますか?

さて、突然ですが、

「あなたは、主体的に生きていますか?」

主体的に…つまり「自分を自分の人生の主人公だと自覚しているか?」という事です。

私たちの周りには数多くの情報が溢れています。TVやインターネットだけではなく、周りの人達の声も「情報」と言えるでしょう。私たちはいつの間にかそんな情報や自分が今いる環境の中に埋もれて、知らず知らずに「受動的な生き方」をしてはいないでしょうか?

自分の「思い」を貫ける人、目的を達成できる人の根底には「自分の人生の主人公は自分である」という自覚があるのではないか?と私は考えます。

「主体的に生きる」事と「受動的に生きる」事には大きな差があります。「~させられている」と思いながら何かをするよりも「これは私の意志でやっている」と思ってやる事の方がずっと効率も成果も上がるのは、誰にでもわかる事だと思います。

「主体的に生きる」人は常に「自己責任」を意識しています。その為に決して「他人のせい」にする事はありませんし、「情報」に埋もれることなく、自分が本当に必要な「情報」だけを選びとることができます。「自分の『思い』が環境を作る」事を無意識に感じている人が多いのではないでしょうか?

「自分の人生の主人公は自分」なのです。あなたがもし今の環境に不満を感じているならば、それはあなたの中で、「受動的な『思い』」が生まれていて、「自分の人生への自己責任」から逃げているのかもしれません。他人や環境に不満をぶつけるのではなく、自分の「思い」をもう一度見直してみてはどうでしょうか?

「助言」は必ずしも「障害」なのか?

今回は前回のテーマに反するテーマかもしれません。今回は「名言や助言が人の心に響くのはなぜ?」です。

私は前回、ただ「聴く」ことが大事だと書きました。この気持ちは変わっていないのですが、自分の文章を読み返して見てひとつの「疑問」が生まれてきました。それは、「他人の助言で『気付き』が生まれることもある。それはなぜか?」というものです。

私は著名人の「名言」や歌のフレーズが大好きです。そんな「言葉」によく触発されることがあります。また、友人からの一言で「答え」が見つかったこともあります。これらは、「聴き方15年」で書いた「12の障害」にはならないのでしょうか?

この疑問の答えを私なりに考えてみました。それは、その「助言」は、他人からの「助言」ではなく、自分の「思い」のなかにあったものだから・・・というものです。J.アレンは「自分の今いる環境は自分の『思い』が作ったものだ。」と唱えています。ならば、その「助言」も自分の「思い」が引き寄せたものだとは考えられないでしょうか?自分の「思い」が「気付きの助言」をくれる(と思われる)相手を選び、その人の言葉を使って、「気付き」を得る・・・ちょっと非科学的な表現かも知れませんが、よく「人に相談する時には答えが決まっている」と言われるのは、こういった理由ではないでしょうか?

私はよく自分の助言を「あなたが選ぶ『答え』の選択肢の一つ」と言います。例えば何らかの問題の解決法を私が答えたとしても、それは「私専用」の答えだと私は思うのです。「私専用」の答えが必ずしも相手の解決策にはなり得ない。それをやってみるか、それとも別の方法を探すかを決めるのは、やはり「相手自身」なのです。このブログをよく読んでくださる皆さんはお気づきかもしれませんが、私は必ず考えを書いた後に「~だと私は思います」と言う表現を使います。その理由はまさしくこれです。私の考え、意見はあくまで私が選択したものであって、必ずしも他の人たちに当てはまるものではないからです。

助言を行う上で大切なことは、「私はこう思う」ということだと思います。相手の考えを否定するのではなく、ましてや、自分の考えこそが多くの人と同じ考えだときめつけるわけでもない・・・唯一つの「パターン」としての「助言」その助言は「12の障害」の「助言」には当てはまらないと私は思います。

何事にも「光と影」があると私は考えます。「助言」という行為にもそれは当てはまると思います。大切なのは「相手主導」の考え。基本は相手から「答え」が出てくるのを待つ「傾聴」。しかし、相手が、ひどく混乱していたり、今すぐ何かのヒントを求めているときには、相手の「思い」を整理したり、相手にとっての選択肢になるような「助言」を提示してみる。でも、あくまで自分の「答え」を選ぶのはその人。私は「傾聴」と「助言」の使い分けをこのように考えます。これが難しいのですが・・・(苦笑)

さて、あなたはどう思いますか?

人の心はわからない・・・そして救えない・・・

今回はカウンセリングの原点と言うか、私の考え方の根底にあるものについて考えてみようと思います。それは・・・

「人の心はわからない」そして「救えない」ということです。

ここで何人の方が「おいおい・・・」と思われたでしょうか?(笑)仮にも「カウンセラー」とか言ってる人間が「わからない」って・・・と思いますよね?私もそう思います。(笑)

でも、これは私にとっての「事実」なのです。私が本格的にカウンセリングの勉強を始めて、一番大きな「気付き」と言ってもいいかもしれません。

「心理カウンセラー」と言われると、人の「今」の心理状態が手に取るようにわかり、様々な解決策を持っている。と思われることが多いようです。確かにカウンセラーは「心」に対する知識を持っています。しかし、超能力者のように目の前のクライアントの「心」が見えるわけではないのです。そしてクライアントの「答え」を持っているわけでもありません。

私がそう言う理由は、今までのブログを見ていただけるとわかるのですが、私達は自分の「心」も完全に理解できていません。そんな私達が他人の「心」を完全に理解できる事ができるでしょうか?それは難しいと思います。そして、私の「答え」がクライアントの「答え」になるとはかぎりません。それは、J.アレンが言っているように「『答え』は自分の『思い』の中にある」からです。そうです。その人にとっての「最良」の答えは自分が選んだものなのです。

では、私達は目の前の悩んだり、困ったりしている人達に何をしてあげられるのでしょうか?

それは、ただ「共感」することだと私は思います。その人の「辛さ」を「共感」する。「悩み」に「共感」する。「苦しみ」に「共感」する。その人の傍にずっと寄り添って「共感」し続ける。その人がその人の「思い」の中から「答え」を見つけることをずっと傍で見守り続ける・・・これが目の前にしてあげられる「最良」の選択だと私は思います。

大事に思っている人が悩んでいると「つい」手を差し伸べてしまいたくなりますよね。それはその人を大事に思っているからこそ・・・しかし、その人の「最良」の答えと、人間としての成長を求めるならば、手を出さずにいてあげることが「最良」だと私は考えます。でも、大事なのは常に傍にいてあげること。実際に近くにいなくても、「私はあなたをずっと見ていますよ」という「姿勢」を見せることが大事だと思います。

「言うは易し行なうは難し」大事な事はそれを「実行」できるか。人の心は「わかりません」し、人を「救う」事も出来ません。でも、その「無力感」こそ「ただ共感する」ことに繋がると思います。勿論、わからない「心」を知ろうとする「姿勢」は大事です。ただ、「手を差し伸べる」のではなく「共感し見守る」これがとても難しいとだと思います。

聴き方15年

「聞き方」について考えて見たいと思います。突然ですが…

貴方は「聞き上手」ですか?

この質問に一年半位前の私は「はい」と答えました。しかし、この自信は、二つの出来事によって、脆くも崩れ去ってしまったのです。(笑)

まず一つ目の出来事は、東山紘久先生の
プロカウンセラーの聞く技術を読んだ事です。この本で「聞く」事の難しさを知りました。

そして、もう一つの出来事は、カウンセリングでの授業を受けたことです。私はこの授業で「聞く」ではなく「聴く」事の大切さを知りました。
 
では、何がいけなかったのか?

その答えとして「コミュニケーションを妨げる12の障害」があげられます。私達は、普段の「聞く」という行為の中でこの「12の障害」の内のどれか一つを無意識に行っている事が多いのです。その為に、相手には「この人は話を聞いてくれていない」と思われることがあるのです。その「12の障害」をあげると

1.命令・指示
2.脅迫・注意
3.説教・訓戒
4.提案・忠告
5.講義・理屈
6.非難・批判
7.侮辱・ばかにする
8.同意・賞賛
9.同情・奨励
10.解析・分析
11.尋問・探り
12.ごまかし・はぐらかす

これらひとつひとつが、なぜ「障害」となるかは、皆さんにもちょっと考えて頂きたいと思います。もちろん、これらの事が「絶対に」障害になるわけではありませんが、人から「話を聞いてくれない」と言われてる人にはどれかが当てはまっていると思います。

これらの障害に共通しているのが「よかれと思って…」という気持ちです。これがコミュニケーションの「ワナ」なのです。「聴く」とは相手の気持ちに「共感」することです。「共感」するとは、「相手と同じ場所に立つ事」。つまり、「相手主導」でなくてはならないのです。上にあげた「12の障害」は
「よかれと思って」してあげていることですが、それは相手を自分の「価値観」にはめ込もうとする行為でもあるのです。相手は貴方に気持ちや考えを「話す」ことで、それを整理しているのです。私達、「聴く」側の人間はその思いの整理にただ「共感」し、その思いの整理を見守り、相手から「答え」が出てくるのを待つのです。なぜなら「答えは自分の中に」あるのですから…

ここまでの話で「聞く」事の難しさ、そして「聴く」という事はもっと難しい事ということがわかっていただけたでしょうか?「聴く」事とは相手の「鏡」になってあげる、という事と同じかもしれません。でも、それが「難しい」のです。「聴き方15年」と言われる訳はここにあると私は思います。

「本当に自分の答えは自分から出てくるのか?」

そう思ってしまいますよね?それが信じられないから「つい」手を差し伸べてしまう・・・

あるカウンセラーの先生がこんな話をしてくださいました。
「話を『聴こう』とする『姿勢』が出来ていても、それでも『つい』何か言ってしまいたくなる。それでも『聴く姿勢』を根気よく続けていると必ず答えは相手から出てくる。この『根気よく』が大切だと思うよ」

私もその通りだと思います。「聴く」姿勢を持つ事。そしてそれを相手から答えが出るまで「根気よく」続ける事。私が「聴き上手」になるにはまだまだ月日が必要なようですが(笑)この「姿勢」は常にとり続けようと思います。

アダルトチルドレン

ある雑誌にアダルト・チルドレンの特集が組まれていたので、それのご紹介をしながら、私の考えも書いてみたいと思います。

アダルト・チルドレン(AdultChildren of DysfunctionalFamily)とはアルコール依存症患者の親を持つなど機能不全の家族で育ち、そこから何らかのマイナスの影響を受けて大人になった人のことを言います。元々は70年代後半、アメリカでアルコール依存症患者の臨床に携わる心理療法家やソーシャル・ワーカーの間で、思春期以降に行動と感情の障害を起こしやすいアルコール依存症患者の親を持つ子供のことをアダルトチルドレン・オブ・アルコホリック(AdultChldolen of Alcoholics)と呼ぶようになり、その略語として使われるようになったのが始まりと言われています。
ところが、日本では語源が理解されないまま一般に流布したために「子供のような大人」として理解される向きもありました。

アダルト・チルドレンの本来の意味について、精神科医の斎藤学先生は「アダルト・チルドレンというのは診断名ではなく、自覚や自己認識。それ以上でもそれ以下でもない。大人になった自分の行動や感情に問題を感じるときは、その由来を理解するためアダルト・チルドレンと自覚、自己認識してもいいと思う。恥じることではないが、とらわれてしまうのもよくない」とおっしゃっています。

アダルト・チルドレンを生み出しやすい「機能不全の家族」として斎藤先生は二つのタイプの家族の例をあげています。

Aタイプ/揃って学歴の高い家族の中で、アルコール依存や暴力はないが、親の価値観で子どもをも縛るという「優しい暴力」が存在する家庭。

Bタイプ/家庭内は無秩序で暴力や虐待などの問題がある。父親がアルコール依存症で、母親に暴力を振るう。母親も自分の身を守るので精一杯で、子どもに対する暴力にかばってあげられない状態の家庭。

どちらの家庭もそれぞれのマイナスの影響を受けて育つと、成長してからも自分を大切にできなくなってしまいます。自分の生きづらさの元を辿るとどちらかの傾向があると感じる人もいるかもしれません。

では、そう気づいたときどうすればよいのか?

斎藤先生は「成長してから親のせいにしても何の解決にもならない」として解決法をこのようにいってらっしゃいます。
「解決はただ一つ。現在のこの瞬間瞬間を一所懸命生きること。アダルト・チルドレンであることを自認すると過去にとらわれやすくなるが、現在、何が一番いいかを考えながらそれに全力を傾注できる自分をつくること。しっかり食べ、しっかり出し、しっかり寝る。なるべくハッピーでいる。不幸なことがあっても、感情があるだけいいと、不幸を感じられる自分を喜ぶことだ。」

私の記憶が確かならば、「アダルト・チルドレン」という言葉が出てきたのは、アニメ「エヴァンゲリオン」が大ヒットした頃のように記憶しています。私自身その当時はアダルト・チルドレンを最初に書いたように「子どものような大人」という意味だと理解していました。「うつ」と言う言葉もそうなのですが、日本人は定義を簡単にして理解してしまう悪い癖があると私は思うので、その点は本当に注意しないといけないなとこの間違いで気づきました。

私自身は、自分をアダルト・チルドレンだとは思っていません。揉め事はよくありましたが、それなりに機能していた家庭で育ったと自負していますので・・・そう思っている私のような存在の一方で、実際に「機能不全」と思われる家庭に育ち、そのマイナスの影響で苦悩している方々がいらっしゃるのも事実です。実際にアダルト・チルドレンという問題は世間で流行になった意味よりも、もっと深いものだと私は考えます。

ここで紹介した斎藤先生の解決方法には私も賛成です。カウンセリングの原則に「今を生きる」という考え方があります。斎藤先生もおっしゃっているように「過去の自分」はもう変えることはできないのです。変えることができない「自分」にこだわるよりも、「今、ここ」に生きている自分を大事にする事。それが結果的に「過去の自分」の体験を「悪いもの」から「良いもの」に変える事になると私は思います。私自身、過去にとても辛い経験をしましたが、「今を精一杯生きる」という考え方を受け入れてからは、あの時の自分に同情しながらも、あの経験は「良いもの」だったと思えるようになってきました。(まだ、完全に「なりました」と言い切れないのが、私の未熟さですが・・・(笑))

私達は過去に取り返しのつかない「過ち」をいくつも犯しています。しかし、私達の人生の先には限りなく無限に近い「可能性」があるのも事実です。「今、ここ」で精一杯生きることで、それらの「過ち」は取り戻せると私は思います。アダルト・チルドレンという自覚を持って、「今」を懸命に生きている人に私は素直に「すごいなぁ」と思います。今後、そういった人達のお手伝いをさせてもらうときに、彼等のパワーに負けないように、私も「今」を精一杯生きていこうとこの記事を読んで思いました。

もうひとつの仮面(ペルソナ)

学校の同期の人(年上ですが)に面白い考え方を聞いたのでそれをご紹介したいと思います。

それは、「仕事が長く続く人の共通点」という話から始まったのですが、その人曰く、「もうひとつの『顔』を持っている人は仕事を苦痛に感じていない」のだそうです。例えば、会社では普通のサラリーマンでも、実は夜はDJをやっていたり、実はその地域では有名なスケボーの選手だったりという感じです。

さまざまな環境に対応するために人はその環境に合った「役割」を演じようとします。これを「ペルソナ(仮面)」と言います。仕事に何一つ不満なく働いている人達にはこの職場とは別の「ペルソナ」をしっかりと持っている人が多いようです。

では、なぜしっかりとしたペルソナを持つ人は、仕事にストレスを感じにくいのか?

それにはいろいろな理由があげられそうですが、私はその人達が「これがあるから頑張れる!」と思っているからではないか、と考えます。
たとえ、その人がその日嫌な事があったとしても、その後にはペルソナを付け替えて楽しいことが待っている。それが終わって、また元の自分に戻ったときにはリフレッシュされていて、嫌なことはすっかり忘れている。つまり、二つのペルソナを使い分ける事で常に新鮮な自分を保っていられるのだと思います。

このペルソナは別に得意なものでもなくてよいと思います。「趣味」もまた立派なペルソナではないでしょうか?そしてそれは必ずしも人に自慢できるような趣味ではなくて良いと思います。
「三国志を語らしたら止まらない」
「出張先の郷土料理は必ず食べに行く」
「実はコインコレクター」などなど・・・

大事な事はそのペルソナになるものが、「自分が心から好きだと思えるもの」であると言う事だと思います。他人に勧められたから、今人気だから・・・などの「やらされてる」ものはいい循環を生むペルソナにはなり得ないでしょう。

「もうひとつの顔を持つ事」は自分の中の心のエネルギーを循環させるのにとても効果的のように思えます。

あなたは、どんなペルソナを持っていますか?

ひなまつり

アートセラピーのボランティアをさせてもらっている某特別養老施設で
2月9日「おひなさま」のワークをしました。
作品を作っているのを見ていたら、自分も作りたくなり・・・
下絵も残っていたので、家に帰ってから作ってみました。

私は自分のおひなさまを買ってもらっていなかったので
これが自分にとっての初めてのおひなさまになります。
自分で作ってもやっぱり嬉しいもんですね。
3月3日までは部屋に飾ります♪

作っていて感じたことは
やっぱり人形だけあって特に自分を投影していくな~ということと、
好きな柄の着物を選んで、顔を描いて・・・・・自分を愛でるような思いです。
作成していて、とても楽しかったし満足です。

自分のアートセラピーのワークショップでもこのワークをやってみたいと思います。
その時は是非、ご参加ください。

やっとわかってスッキリ

去年の3月に「ドリームワーク(童里夢)」を体験しました。
4枚絵を描いていきます。
その中で描いた1枚の絵でその時もですが、いままでなぜか気になっていました。
「子供の頃につながる絵」

姉が小学校最後の誕生日のお祝いに(だったと思う)
叔母さんが「何でも好きなものを買ってあげる」ということで
百貨店に連れて行ってもらった時の絵を描いた。
私も一緒に連れて行ってくれて、好きなものを買ってくれるといわれたけど
子供ながらに ”ついで”という感じがして
本当に好きな(高い)ものを欲しいと言ってはいけないと
思ったことを記憶しています。

シェアの時、絵を描いたときに人形の絵をとても丁寧に書いていたね・・・・と。
確かに丁寧に書いていたと自分も思いました。
でもそのお人形は、姉が欲しくて買ってもらったもので、
私が欲しかったものでのなんでもなっかたんです。
なのでなぜそんなに丁寧に書いたのか・・・という事がずっと気になっていたんです。
「自分も好きなものをこれが欲しいと手に入れられるようになりたいから?」
と思ったのですが、なにか違うな~と。

そのワークをしてから1年近くも経ってるのですが2、3日前にふっと思いました。
私はこの人形のように「この子がいい、この子が欲しい」と言ってもらいたかったんだな・・・と。
そう思った時になぜあんなに丁寧に人形を書いたのか、ということも腑に落ちて
気持ちもスッキリしました。
当時そんなふうに思っていたんだという感情、気持ちを大切にしたいと思います。

「お絵かき遊び」

面白い本を見つけました!8月頃に見つけたのですが、なかなか紹介できず・・・今日になってしまいました。
ボランティアのワークを考える時の参考になるかな~と思い、即購入いたしました。

ちびっこアーチストを育てる 「お絵かき遊び」  
主婦の友社 アトリエ・リュミエール 鈴木あきこ著作

見ているだけでも楽しい内容ですよ!

出張アートセラピー

先日、友人に頼まれて、グループにアートセラピーのワークをしてきました。
「コラージュ」をさせていただきました。
みなさんアートセラピーは初めてという事でしたので、どんな事するんだろう…?と少し緊張していたように思いますが、慣れた場所、私以外はみな知り合いという環境なので、すぐにいつもの雰囲気(?)になって、おしゃべりしながらの和やかな感じでワークが進みました。
出来た作品の紹介などのシェアの時も私が言葉をかけなくても、次々とお互いが質問したりしておられました。
お互いの知らなかった事などもたくさん話しにでてきて、「自己紹介するよりお互いの事がわかった」との感想をいただきました。
知ってるつもりでも、知らないことってたくさんありますよね。

アートセラピーはグループなどお互い打ち解けるのに使えば、より早くお互いのコミュニケーションがとれるんだな…という事を体感させていただきました。
もう少し先の話になりますが・・・個人グループなどの出張アートセラピーもやっていきたいと思いました。

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