今回はカウンセリングの原点と言うか、私の考え方の根底にあるものについて考えてみようと思います。それは・・・
「人の心はわからない」そして「救えない」ということです。
ここで何人の方が「おいおい・・・」と思われたでしょうか?(笑)仮にも「カウンセラー」とか言ってる人間が「わからない」って・・・と思いますよね?私もそう思います。(笑)
でも、これは私にとっての「事実」なのです。私が本格的にカウンセリングの勉強を始めて、一番大きな「気付き」と言ってもいいかもしれません。
「心理カウンセラー」と言われると、人の「今」の心理状態が手に取るようにわかり、様々な解決策を持っている。と思われることが多いようです。確かにカウンセラーは「心」に対する知識を持っています。しかし、超能力者のように目の前のクライアントの「心」が見えるわけではないのです。そしてクライアントの「答え」を持っているわけでもありません。
私がそう言う理由は、今までのブログを見ていただけるとわかるのですが、私達は自分の「心」も完全に理解できていません。そんな私達が他人の「心」を完全に理解できる事ができるでしょうか?それは難しいと思います。そして、私の「答え」がクライアントの「答え」になるとはかぎりません。それは、J.アレンが言っているように「『答え』は自分の『思い』の中にある」からです。そうです。その人にとっての「最良」の答えは自分が選んだものなのです。
では、私達は目の前の悩んだり、困ったりしている人達に何をしてあげられるのでしょうか?
それは、ただ「共感」することだと私は思います。その人の「辛さ」を「共感」する。「悩み」に「共感」する。「苦しみ」に「共感」する。その人の傍にずっと寄り添って「共感」し続ける。その人がその人の「思い」の中から「答え」を見つけることをずっと傍で見守り続ける・・・これが目の前にしてあげられる「最良」の選択だと私は思います。
大事に思っている人が悩んでいると「つい」手を差し伸べてしまいたくなりますよね。それはその人を大事に思っているからこそ・・・しかし、その人の「最良」の答えと、人間としての成長を求めるならば、手を出さずにいてあげることが「最良」だと私は考えます。でも、大事なのは常に傍にいてあげること。実際に近くにいなくても、「私はあなたをずっと見ていますよ」という「姿勢」を見せることが大事だと思います。
「言うは易し行なうは難し」大事な事はそれを「実行」できるか。人の心は「わかりません」し、人を「救う」事も出来ません。でも、その「無力感」こそ「ただ共感する」ことに繋がると思います。勿論、わからない「心」を知ろうとする「姿勢」は大事です。ただ、「手を差し伸べる」のではなく「共感し見守る」これがとても難しいとだと思います。
「聞き方」について考えて見たいと思います。突然ですが…
貴方は「聞き上手」ですか?
この質問に一年半位前の私は「はい」と答えました。しかし、この自信は、二つの出来事によって、脆くも崩れ去ってしまったのです。(笑)
まず一つ目の出来事は、東山紘久先生の
プロカウンセラーの聞く技術を読んだ事です。この本で「聞く」事の難しさを知りました。
そして、もう一つの出来事は、カウンセリングでの授業を受けたことです。私はこの授業で「聞く」ではなく「聴く」事の大切さを知りました。
では、何がいけなかったのか?
その答えとして「コミュニケーションを妨げる12の障害」があげられます。私達は、普段の「聞く」という行為の中でこの「12の障害」の内のどれか一つを無意識に行っている事が多いのです。その為に、相手には「この人は話を聞いてくれていない」と思われることがあるのです。その「12の障害」をあげると
1.命令・指示
2.脅迫・注意
3.説教・訓戒
4.提案・忠告
5.講義・理屈
6.非難・批判
7.侮辱・ばかにする
8.同意・賞賛
9.同情・奨励
10.解析・分析
11.尋問・探り
12.ごまかし・はぐらかす
これらひとつひとつが、なぜ「障害」となるかは、皆さんにもちょっと考えて頂きたいと思います。もちろん、これらの事が「絶対に」障害になるわけではありませんが、人から「話を聞いてくれない」と言われてる人にはどれかが当てはまっていると思います。
これらの障害に共通しているのが「よかれと思って…」という気持ちです。これがコミュニケーションの「ワナ」なのです。「聴く」とは相手の気持ちに「共感」することです。「共感」するとは、「相手と同じ場所に立つ事」。つまり、「相手主導」でなくてはならないのです。上にあげた「12の障害」は
「よかれと思って」してあげていることですが、それは相手を自分の「価値観」にはめ込もうとする行為でもあるのです。相手は貴方に気持ちや考えを「話す」ことで、それを整理しているのです。私達、「聴く」側の人間はその思いの整理にただ「共感」し、その思いの整理を見守り、相手から「答え」が出てくるのを待つのです。なぜなら「答えは自分の中に」あるのですから…
ここまでの話で「聞く」事の難しさ、そして「聴く」という事はもっと難しい事ということがわかっていただけたでしょうか?「聴く」事とは相手の「鏡」になってあげる、という事と同じかもしれません。でも、それが「難しい」のです。「聴き方15年」と言われる訳はここにあると私は思います。
「本当に自分の答えは自分から出てくるのか?」
そう思ってしまいますよね?それが信じられないから「つい」手を差し伸べてしまう・・・
あるカウンセラーの先生がこんな話をしてくださいました。
「話を『聴こう』とする『姿勢』が出来ていても、それでも『つい』何か言ってしまいたくなる。それでも『聴く姿勢』を根気よく続けていると必ず答えは相手から出てくる。この『根気よく』が大切だと思うよ」
私もその通りだと思います。「聴く」姿勢を持つ事。そしてそれを相手から答えが出るまで「根気よく」続ける事。私が「聴き上手」になるにはまだまだ月日が必要なようですが(笑)この「姿勢」は常にとり続けようと思います。
ある雑誌にアダルト・チルドレンの特集が組まれていたので、それのご紹介をしながら、私の考えも書いてみたいと思います。
アダルト・チルドレン(AdultChildren of DysfunctionalFamily)とはアルコール依存症患者の親を持つなど機能不全の家族で育ち、そこから何らかのマイナスの影響を受けて大人になった人のことを言います。元々は70年代後半、アメリカでアルコール依存症患者の臨床に携わる心理療法家やソーシャル・ワーカーの間で、思春期以降に行動と感情の障害を起こしやすいアルコール依存症患者の親を持つ子供のことをアダルトチルドレン・オブ・アルコホリック(AdultChldolen of Alcoholics)と呼ぶようになり、その略語として使われるようになったのが始まりと言われています。
ところが、日本では語源が理解されないまま一般に流布したために「子供のような大人」として理解される向きもありました。
アダルト・チルドレンの本来の意味について、精神科医の斎藤学先生は「アダルト・チルドレンというのは診断名ではなく、自覚や自己認識。それ以上でもそれ以下でもない。大人になった自分の行動や感情に問題を感じるときは、その由来を理解するためアダルト・チルドレンと自覚、自己認識してもいいと思う。恥じることではないが、とらわれてしまうのもよくない」とおっしゃっています。
アダルト・チルドレンを生み出しやすい「機能不全の家族」として斎藤先生は二つのタイプの家族の例をあげています。
Aタイプ/揃って学歴の高い家族の中で、アルコール依存や暴力はないが、親の価値観で子どもをも縛るという「優しい暴力」が存在する家庭。
Bタイプ/家庭内は無秩序で暴力や虐待などの問題がある。父親がアルコール依存症で、母親に暴力を振るう。母親も自分の身を守るので精一杯で、子どもに対する暴力にかばってあげられない状態の家庭。
どちらの家庭もそれぞれのマイナスの影響を受けて育つと、成長してからも自分を大切にできなくなってしまいます。自分の生きづらさの元を辿るとどちらかの傾向があると感じる人もいるかもしれません。
では、そう気づいたときどうすればよいのか?
斎藤先生は「成長してから親のせいにしても何の解決にもならない」として解決法をこのようにいってらっしゃいます。
「解決はただ一つ。現在のこの瞬間瞬間を一所懸命生きること。アダルト・チルドレンであることを自認すると過去にとらわれやすくなるが、現在、何が一番いいかを考えながらそれに全力を傾注できる自分をつくること。しっかり食べ、しっかり出し、しっかり寝る。なるべくハッピーでいる。不幸なことがあっても、感情があるだけいいと、不幸を感じられる自分を喜ぶことだ。」
私の記憶が確かならば、「アダルト・チルドレン」という言葉が出てきたのは、アニメ「エヴァンゲリオン」が大ヒットした頃のように記憶しています。私自身その当時はアダルト・チルドレンを最初に書いたように「子どものような大人」という意味だと理解していました。「うつ」と言う言葉もそうなのですが、日本人は定義を簡単にして理解してしまう悪い癖があると私は思うので、その点は本当に注意しないといけないなとこの間違いで気づきました。
私自身は、自分をアダルト・チルドレンだとは思っていません。揉め事はよくありましたが、それなりに機能していた家庭で育ったと自負していますので・・・そう思っている私のような存在の一方で、実際に「機能不全」と思われる家庭に育ち、そのマイナスの影響で苦悩している方々がいらっしゃるのも事実です。実際にアダルト・チルドレンという問題は世間で流行になった意味よりも、もっと深いものだと私は考えます。
ここで紹介した斎藤先生の解決方法には私も賛成です。カウンセリングの原則に「今を生きる」という考え方があります。斎藤先生もおっしゃっているように「過去の自分」はもう変えることはできないのです。変えることができない「自分」にこだわるよりも、「今、ここ」に生きている自分を大事にする事。それが結果的に「過去の自分」の体験を「悪いもの」から「良いもの」に変える事になると私は思います。私自身、過去にとても辛い経験をしましたが、「今を精一杯生きる」という考え方を受け入れてからは、あの時の自分に同情しながらも、あの経験は「良いもの」だったと思えるようになってきました。(まだ、完全に「なりました」と言い切れないのが、私の未熟さですが・・・(笑))
私達は過去に取り返しのつかない「過ち」をいくつも犯しています。しかし、私達の人生の先には限りなく無限に近い「可能性」があるのも事実です。「今、ここ」で精一杯生きることで、それらの「過ち」は取り戻せると私は思います。アダルト・チルドレンという自覚を持って、「今」を懸命に生きている人に私は素直に「すごいなぁ」と思います。今後、そういった人達のお手伝いをさせてもらうときに、彼等のパワーに負けないように、私も「今」を精一杯生きていこうとこの記事を読んで思いました。
学校の同期の人(年上ですが)に面白い考え方を聞いたのでそれをご紹介したいと思います。
それは、「仕事が長く続く人の共通点」という話から始まったのですが、その人曰く、「もうひとつの『顔』を持っている人は仕事を苦痛に感じていない」のだそうです。例えば、会社では普通のサラリーマンでも、実は夜はDJをやっていたり、実はその地域では有名なスケボーの選手だったりという感じです。
さまざまな環境に対応するために人はその環境に合った「役割」を演じようとします。これを「ペルソナ(仮面)」と言います。仕事に何一つ不満なく働いている人達にはこの職場とは別の「ペルソナ」をしっかりと持っている人が多いようです。
では、なぜしっかりとしたペルソナを持つ人は、仕事にストレスを感じにくいのか?
それにはいろいろな理由があげられそうですが、私はその人達が「これがあるから頑張れる!」と思っているからではないか、と考えます。
たとえ、その人がその日嫌な事があったとしても、その後にはペルソナを付け替えて楽しいことが待っている。それが終わって、また元の自分に戻ったときにはリフレッシュされていて、嫌なことはすっかり忘れている。つまり、二つのペルソナを使い分ける事で常に新鮮な自分を保っていられるのだと思います。
このペルソナは別に得意なものでもなくてよいと思います。「趣味」もまた立派なペルソナではないでしょうか?そしてそれは必ずしも人に自慢できるような趣味ではなくて良いと思います。
「三国志を語らしたら止まらない」
「出張先の郷土料理は必ず食べに行く」
「実はコインコレクター」などなど・・・
大事な事はそのペルソナになるものが、「自分が心から好きだと思えるもの」であると言う事だと思います。他人に勧められたから、今人気だから・・・などの「やらされてる」ものはいい循環を生むペルソナにはなり得ないでしょう。
「もうひとつの顔を持つ事」は自分の中の心のエネルギーを循環させるのにとても効果的のように思えます。
あなたは、どんなペルソナを持っていますか?
アートセラピーのボランティアをさせてもらっている某特別養老施設で
2月9日「おひなさま」のワークをしました。
作品を作っているのを見ていたら、自分も作りたくなり・・・
下絵も残っていたので、家に帰ってから作ってみました。
私は自分のおひなさまを買ってもらっていなかったので
これが自分にとっての初めてのおひなさまになります。
自分で作ってもやっぱり嬉しいもんですね。
3月3日までは部屋に飾ります♪
作っていて感じたことは
やっぱり人形だけあって特に自分を投影していくな~ということと、
好きな柄の着物を選んで、顔を描いて・・・・・自分を愛でるような思いです。
作成していて、とても楽しかったし満足です。
自分のアートセラピーのワークショップでもこのワークをやってみたいと思います。
その時は是非、ご参加ください。
去年の3月に「ドリームワーク(童里夢)」を体験しました。
4枚絵を描いていきます。
その中で描いた1枚の絵でその時もですが、いままでなぜか気になっていました。
「子供の頃につながる絵」
姉が小学校最後の誕生日のお祝いに(だったと思う)
叔母さんが「何でも好きなものを買ってあげる」ということで
百貨店に連れて行ってもらった時の絵を描いた。
私も一緒に連れて行ってくれて、好きなものを買ってくれるといわれたけど
子供ながらに ”ついで”という感じがして
本当に好きな(高い)ものを欲しいと言ってはいけないと
思ったことを記憶しています。
シェアの時、絵を描いたときに人形の絵をとても丁寧に書いていたね・・・・と。
確かに丁寧に書いていたと自分も思いました。
でもそのお人形は、姉が欲しくて買ってもらったもので、
私が欲しかったものでのなんでもなっかたんです。
なのでなぜそんなに丁寧に書いたのか・・・という事がずっと気になっていたんです。
「自分も好きなものをこれが欲しいと手に入れられるようになりたいから?」
と思ったのですが、なにか違うな~と。
そのワークをしてから1年近くも経ってるのですが2、3日前にふっと思いました。
私はこの人形のように「この子がいい、この子が欲しい」と言ってもらいたかったんだな・・・と。
そう思った時になぜあんなに丁寧に人形を書いたのか、ということも腑に落ちて
気持ちもスッキリしました。
当時そんなふうに思っていたんだという感情、気持ちを大切にしたいと思います。
面白い本を見つけました!8月頃に見つけたのですが、なかなか紹介できず・・・今日になってしまいました。
ボランティアのワークを考える時の参考になるかな~と思い、即購入いたしました。
ちびっこアーチストを育てる 「お絵かき遊び」
主婦の友社 アトリエ・リュミエール 鈴木あきこ著作
見ているだけでも楽しい内容ですよ!
先日、友人に頼まれて、グループにアートセラピーのワークをしてきました。
「コラージュ」をさせていただきました。
みなさんアートセラピーは初めてという事でしたので、どんな事するんだろう…?と少し緊張していたように思いますが、慣れた場所、私以外はみな知り合いという環境なので、すぐにいつもの雰囲気(?)になって、おしゃべりしながらの和やかな感じでワークが進みました。
出来た作品の紹介などのシェアの時も私が言葉をかけなくても、次々とお互いが質問したりしておられました。
お互いの知らなかった事などもたくさん話しにでてきて、「自己紹介するよりお互いの事がわかった」との感想をいただきました。
知ってるつもりでも、知らないことってたくさんありますよね。
アートセラピーはグループなどお互い打ち解けるのに使えば、より早くお互いのコミュニケーションがとれるんだな…という事を体感させていただきました。
もう少し先の話になりますが・・・個人グループなどの出張アートセラピーもやっていきたいと思いました。
私は「価値観は無限大にある」と考えます。そして、その全てが基本的には「正しい」ものだと考えます。
価値観とは、その人が物事を判断する上でとても重要な要素となります。例えば、買い物をしていて、同じ商品を見て、「高い」「安い」を判断するのは、その人が持つその商品への価値観で変わってきます。また、人を見る時でも、価値観が「同じ」「違う」でその人との人間関係が決まってしまう事も少なくはありません。「価値観の相違」で夫婦が別れてしまう事はよくあげられる事例です。
心理的な悩みを持つ人も、この価値観が原因の場合があります。「私は~でなければならない」という考え方です。これを「固定概念」とも言いますが、例えば、
「バラは赤である」
という文章があります。これは「固定概念」をよく表している文章です。
なぜだかわかりますか?
そうです。バラには赤もあれば、ピンクや白もあります。上の文章は「バラは赤でなければならない」という考え方にもとれるのです。正確には、
「バラは赤もある」
ですね。よく理解しにくい文章を書く私がこういう事例を出すと怒られそうですが(笑)人は、何かに悩んでいるときには、一つの価値観に固執している時があるのです。
価値観は先ほども述べたとおり、とても大事なものです。しかし、客観的に価値観というものを見ると、それは一つの「見方」でしかないと言えます。例えば、地上から見た地球はどう見ても丸くは見えませんが、宇宙から見てみれば、地球は紛れもなく「丸い」のです。
私が「価値観は『基本的には』正しい」と考えるのは、私の価値観が「間違っている」と思っていることを地球のどこかの人は「これは正しい」と思っているだろうと考えるからです。人は自分とは違う価値観に触れると「拒否反応」を示してしまいがちですが、それをあえて「正しい」ものとして受け入れてみてはどうでしょうか?受け入れた上で納得いかなければ、それはそれでしょうがないと思います。でももし「ああ、こういう考え方もあるんだなぁ」と捉える事ができたならば、貴方の心に新しい価値観が加わり、貴方の心をより豊かにしてくれるのではないでしょうか?自分とは違った価値観を認めた上で「でもこの価値観はイヤ!」とするのもそれは貴方の新しい価値観だと思います。
私はこのブログのおかげで沢山の価値観に出会わせてもらっています。私が執拗に(笑)コメントを求めるのは、より多くの価値観と出会いたいからなのです。また同時にこのブログで訪れた人達が色々な価値観の中から、自分の心に響く価値観を見つけてくれるとそれはとてもうれしいことだと思います。
今回のテーマは「まず、自分から」です。これは、当たり前の事のようで、とても大切な事だと私は考えています。
私たちは、当然のように、人間関係の中で生きています。親子関係、兄弟、親戚、友達、上司、部下など、私達の周りにはいろいろな人間関係があります。私達の「悩み」の中で特に多いのが、この人間関係と言えるかもしれません。私はカウンセリングを学んで、「この人間関係の問題を解決するヒントは自分にある」と考えました。
J.アレンは自分の周りの環境を「自分の考えが作り出したもの」と説きました。この考えからすれば、人間関係もまた「自分の考えが作り出したもの」と考えられます。つまり、「嫌いな人」も「好きな人」も、自分の価値観や考え方が作りだしているものなのです。そして、嫌な人間関係も自分で作り出していることになります。
よく人間関係の改善方法として「あの人が変われば…」と思ってしまう人をよく見かけます。しかし、前回も書きましたが、人は他人の意見では変わりません。これは、人間同士ならば、当然とも言えます。人には十人十色の価値観があります。しかもそれは、幼少の頃から作られたものと考えられれば、そう簡単に変わるものではありません。
では、どうすればいいのか・・・?
変えられないものを変えようとするには、膨大なエネルギーを必要とします。それよりも「変えられるものから変えていく」方が楽です。変えられるものとは?・・・そう、それは「自分自身」です。
ここで、さっきのJ.アレンの考えに戻れば、「自分の内面を変えることで環境を変える」のです。
自分が悪口を言われたくないのなら、自分は他人の悪口は言わない。自分がもっと褒めて欲しいならば、他人を沢山褒める。自分を愛して欲しいと思うなら、他人を一生懸命に愛する・・・
自分が他人にしてもらいたい事を自分が他人にしてあげる事で、それが今度は自分に帰ってくる。自分を沢山褒めてくれる人にあなたは悪口が言えますか?
「反面教師」とは相手の悪い部分を逆に見習って、それを自分がしないようにする事を言います。これと似た言葉にユングの「シャドウ」と言う言葉があります。これは相手の嫌だと思う部分は、実は、自分の欠点であったり、自分ができない事である事が多いのです。それが他人に「投影」されているのだとユングは言っています。
あなたに「害を与える」人間関係は実は自分が変われば解決する事が多いのです。しかし、それがちょっとしたこじれであれば、すぐに効果は出るのですが、それが複雑なものであれば、そう簡単に効果は表れません。また、先ほどの「シャドウ」の考え方で言うと、自分の気づいていない部分が「投影」されている事が多いので、そう簡単にそれを自分の嫌な部分だと認めることはできないでしょう。
しかし、大事なのはそのことに「気付く」事です。この人間関係を嫌なものにしている原因は何なのか?その原因を取り除くために自分ができる事は何なのか?そして、その人間関係を良いものにしたいと考えるならば、「行動」することです。「代価無しでは何も得られない」・・・「等価交換の法則」ですね。
私はこの事をカウンセリングの勉強とJ.アレンの法則に学びました。しかし、まだ、実行できていない部分が沢山あります。これは「シャドウ」だとわかっていても、それを認められない自分がいたり、他人の価値観をどうしても理解できない時もあります。
でも、(これはJ.アレンの言葉ですが)大切な事はそれをいつか自然にできるようになるまで、「行動」し続ける事です。今はできなくても、90歳位になった時にそれが自然にできるようになっていれば、私は人間として大きく成長した事になるのでしょう(笑)しかしそれは「結果」であり、そこにたどり着くまでに私の人間としての「枠」はどんどん広がり続けていたのです。たとえ、その目標にたどり着けなかったとしても、私の「枠」は「行動」をしてない人達よりはより広いものになっていることでしょう。
私は私の周りの人達が人間としてより「大きく」なる事を望みます。
その為には、まずは私自身がより「大きく」なる為の「行動」を続けなければならないと強く思っています。