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色と右脳とアートセラピー

アートセラピーというと身構えてしまう方も多いかと思いますが、私たちは知らないうちに色の効果を生活の中で取り入れています。
たとえば、今日着る服やハンカチ、靴、鞄などなど、知らないうちに今日の自分の波長(気分、気持ち)に合った色を選んで身に着けています。

いつもの組み合わせがどうも気に入らなくて鏡の前で悩んだ経験はありませんか?
そして、悩んだ結果、これだと思う組み合わせが決まると、妙に落ち着いたり…。これが色の効果です。
アートセラピーではそんな色を使っていろいろな作品を作成します。
自分の気持ちが沈んでいるときは、作成するのがしんどい時もありますが、そんな時は無理に作成する必要はないので、作成しないことを自分が選ぶのもOKです。

アートセラピーの場に足を運んで、他の参加者の作品をみたり、シェアに参加してください。それでもきっと気付きはあります。お休みを自分が選ぶのも、もちろんOKなんですが、自分の経験からしんどい時もアートセラピーをした方が楽になりましたから、参加することをおすすめしますけれど。問題は別のことでもなにか関連した気付きがあったり、自分自身の気持ちが整理されるからでしょうか。

私たちの生きる社会は左脳優先で、考えてばかりいます。頭でのみ考えると、~しなければならない、~するべきだと世間体で行動します。置き忘れている、右脳は感情に働きかけるので、~したい、~欲しい など自分自身の心からの欲求が表れます。

自分自身の欲求にふたをするのではなく、右脳、左脳の妥協点を見つけて行動できると、責任のとれる、自分らしい私たちで居られるのだと思います。

左脳は嫌でも日常生活で使う世の中です。右脳はなかなか使えません。色を使い感じることは私達の右脳の働きを使っています。アートセラピーでは色は勿論つかいますし、イメージを使って作品を作成するので思いっきり右脳を使います。アートセラピーで思いっきり右脳を使いましょう♪そして、本当の自分の欲求を探す・気付くきかっけになると嬉しいです。

アートセラピーとの出会い

私がアートセラピーと出会ったきっかけをお話ししたいと思います。当時通っていた心理学の講座の中で、色の心理的意味の授業がありました。その時にした簡単な色をぬるワークが、その時の気持ちをズバリ色が表していたんです。それから色の心理的な意味にとても興味がわきました。その時は、心理学講座で勉強した事を伝えていきたいと思っていました。でも心理学というと、一般に受け入れにくいのでは?色彩心理から入ったら受け入れられやすいかも?と思いアートセラピーの講座に行く事にしました。自分的には術を学ぶ感覚でした。これがアートセラピーに出会ったきっかけなのですが、

…一回目の講座で私の甘い考えは打ち砕けました(-_-) こちらが、分析して相手の方の気持ちを知る手段ではないということを知りました。まず、たくさんの色がある。たとえば赤ひとつを考えても明るい赤から暗い赤、オレンジぽい赤からピンクぽい赤。そして赤を書いても補色(裏の色とでもいいましょうか)の色を感じているかもしれない…。明度などで意味もかわりますし、一人一人の生きて来た環境、その中から感じる色の捕らえ方、など違うので決め付けられない、デリケートなもの。なので他人が解釈なんてとんでもないです。

当日のワークで、たくさんの気付きがありました。今まで自由に生きてきたつもりでいましたが、ある一定の枠の中での自由な行き方しかできていなかったと。真っ白の画用紙を自由に使って下さいの言葉にどうしていいのか戸惑いました。取り合えず、書き始めましたが、画用紙からはみ出さないようにしている自分がありました。私は自分自身が決めるいろいろな制限から、枠から出たかったのです。いろいろなワークをするなかで少しづつはみ出る事が出来るようになりました。そうなって来た時、私はいろいろな事を始めていたように思います。

それからのワークでもいろいろ気づきをもらいました。自分が思う良いことも、悪いことも・・・とくに悪いと思う感情が自分自身の思い込みであることだったと理解できたことが私にとって一番の救いでした。

私は自分の辛い感情を言葉で表すのが苦手でしたが、アートセラピーでは作品にでてしまう(自分がそれについて話さなければそれまでですが)ので、私には合っていたんだと思います。どんな感情も心に留めているから苦しいんです。
心に留めて居る限りその感情から開放されることはありません。

・・・アートセラピーを学ぶきっかけとはうらはらに、アートセラピーにすっかり魅了されました。そしてたくさんの方にアートセラピーを知ってもらいたいと思っています。

ストレスとは?

さて、前回は「境界線」について考えてみました。今回はよく心の病気の原因とされる、「ストレス」について考えて見たいと思います。

調べてみると、私達が日頃言っている「ストレス」と医学的な「ストレス」はちょっと違うようです。そもそも「ストレス」と言う概念を提唱したのはセリエ(Selye,H)と言う学者です。彼曰く、生物に対して悪い影響を及ぼすものを「ストレッサー」と名づけ、その結果生体におこる反応を「ストレス」と言うのだそうです。このセリエの定義に従うと、「現代はストレス社会だ」と言う言い方ではなく、「現代はストレッサーにあふれストレスがたまりやすい社会だ」と言う言い方のほうが正しいことになります。

セリエはストレッサーが持続的に加わった時の生体の反応について大きく三つの時期があると考えました。
第一の時期は、ストレッサーに対して軽いショックを受け、抵抗力が落ちる時期です。これを警告反応期と言います。風邪のひき始めの寒気やだるさがいい例です。
第二に時期は、ストレッサーに対して体内の抵抗が高まる時期です。これを抵抗期と言います。風邪で言うと熱や咳が出たりする状態ですね。
そして、第三の時期が疲弊期と呼ばれ、抵抗力が落ち、最悪の場合は死にいたる時期になります。
これを精神面で当てはめると、いわゆるうつ状態や神経衰弱状態などはさまざまなストレッサーに対して、精神的に抵抗期から疲弊期に移る時期の現象と考えることができます。

こうして、「ストレス」を精神医学的に見てきました。こうやって見ていくと、やはり私達は「ストレッサーにあふれた社会」にいるのかも知れません。これからの時代を生きていく私達やこれから生まれてくる子ども達は、風邪の予防にうがいをするように、心の病気に対しても「予防」をする知恵を身につけなければならないと私は考えます。それは別に今まで書いてきたような医学的な事をたくさん勉強しなければならないのではなく、「よりよく生きていく為の知恵」として、より「自分」を知る方法、より「相手」を理解できる方法を身近に知ることができればいいなと考えます。私はその手段として「カウンセラー」が役にたてるといいなあと思います。「風邪をひいたみたいだから、ひどくならない内に病院へ行こう」と同じように「心の調子が悪いから、ひどくならない内にカウンセリングを受けとこう」といわれる位、もっともっとカウンセリングが身近なものになって欲しいと言うのが、私の願いであり、目標でもあります。

「健康」と「病気」の境界線

さて今回は「境界線」を考えてみようと思います。色んな境界線がありますが、今回考えるのは、「健康と病気」の境界線です。

皆さんは、どこからが「病気」だと思いますか?

例えば・・・

①緊張すると食欲がなくなって、食事をしない。でも緊張が解ければ食べる。

②悩み事があるために食欲が無い日が続く。でも、それなりに食事はする。

③常に悩んでいて、食事をしても味を感じられない。

この例え、実は自分の体験したことなのですが、私は緊張した状態になると、すぐ食欲が無くなってしまう癖があります。自分でもいけないとは思いながらも、緊張が解ければ食べれるようになるので、そこまで気にしていません。しかし、③は、私が一時期仕事のストレスで鬱状態にあった時の状況で、この時は、拒食を超えて、過食になっていました。当時は仕事帰りに菓子パンとジュースを買って食べ、家に帰れば実家だったので、ちゃんとした晩御飯がありました。それもしっかり食べていましたが、全然おいしくなかったのを覚えています。

健康と病気の境界線は「日常生活に支障をきたすかどうか」のようです。私の場合でいうと、緊張で食事が食べれなくなるのは、緊張が解ければ食べれるのであまり問題ではあません。しかし、一日の生活の中で食べる事を重要に思うこともできず、食べることがおっくうになると、これは「日常生活に支障をきたしている」と言えます。

心の病気の怖いところは、普段の何気ない行動が、いつのまにか「防衛機制」や「代償行為」になって、それによって日常に支障が出てしまうことです。境界線がわかりにくいのです。

このこころの健康と病気の「境界線」を超えないようにするためには、やはり、「己をよく知っておく」事が大切です。自分の行動の中に「あれ?」と思う行動に「気づく」それに気づいてもしこのままだと日常生活に支障をきたしそうかもと思ったら、友達や専門家に相談してみる事が大事だと思います。身体の病気も心の病気も「早期発見」が大切です。

でももし気づいたときにはすでに境界線を越えていたとしても、心配しないでください。大切な事は「気づく」こと。あなたが病気に気づくことさえできれば、きっと直せます。心の病気を起こしているのも「自分」なのですから…

次回はこの心の病気の「原因」となる事が多い、「ストレス」について考えて見たいと思います。

「食べる」ことの大切さ

「食べる」事の重要性をお話したいと思います。これは、身体の健康からの見方ではなく、心の健康から見た、「食べる」事への重要性です。

あなたは、悩み事がある時に、食欲が無くなりませんか?考えることに精一杯で、食べるのがおっくうになる・・・そんなことはありませんか?

これは、精神的なストレスで、頭が一杯一杯になることで、食事を食べる気分になれない状態なのですが、これは、「食べる気になれない」と思っている事が多くて、実際には身体は食事を求めてるわけです。つまり、心と身体が別々の反応をしている状態ですね。

しかし、ちょっと考えてみてください。この時、本来取るべき栄養を取らないという事は、身体には栄養が不足しているわけです。もちろん、今、一生懸命考え事をしている脳もです。この心も身体も疲れきった状態で、自分に有利な考えを導きだすことができるでしょうか?

マスローは欲求には5段階あると考えました。その中でまず最初に満たされていなければいけないのは「生存の欲求」だと言っています。つまり、この瞬間に食べ、息をし、生きていけることが最初の欲求だと言うのです。マスローはこれを満たしてこそ次の段階の欲求を求める事ができると言っています。

これを先ほどの状況に例えるとどうでしょうか?食事を取らずに考え事をしてるということは、マスローの言う「生存の欲求」を満たさずして、「知的欲求」を満たそうとしている訳です。

つまり、私はこう考えます。「まず、食事をちゃんと取ってもう一度考えなしてみては?」と。まずはストレスで疲れきった身体に栄養と休息を与えてから、もう一度、自分を悩ませている問題に向き合ってみる。そうする事で「生存の欲求」を満たした自分に「間」が生まれ、自分にとって良い答えが見つかるのではないでしょうか?

私もストレスが溜まると食欲が無くなる人なのですが、この考えを聞いてから、食欲が無いなりに食事を取るようにしています。そして、その時はなるべく食が進むように、自分の好きなものを食べるようにしています。お腹を一杯にして物事を考えるとなかなか悪い答えは出てこなくなりますよ。しかし、それが何日か続くと食費がかさんでしまうのですが・・・(泣)

みなさんもよろしければ試して見てください。食費を苦しめない程度に・・・(笑)

「優秀な他人」と「駄目な自分」

皆さんは、自分が「優秀な人材」だと思いますか?

「イエス」と答える人は、自分がどれだけの仕事ができるかわかっている人なのでしょう。今回は「ノー」と答える人の為に書いてみたいと思います。なぜなら、私も「ノー」なので…

この話はしもねえさんが今、直面している環境で僕もかつて同じ環境いた事がありました。それは「優秀な人材の後釜」という環境です。私もしもねえさんにも先輩にとても優秀な人材がいました。その人達が抜けて、私達は彼らの「後釜」として彼らと同じ位の働きを求められたのです。しかし、「優秀」ではない私はとても偉大な先輩達と同じレベルの仕事などできませんでした。その内に、後輩から「優秀な人材」が現れ、私達は「優秀でない」自分をひどく責めるようになりました。
そこで、悩んだ末に私naoが出した答えが・・・

「しょうがない」

という答えでした(笑)私がいくら考えていても優秀な先輩達のレベルにはなれません。それよりは、自分が今の段階で何をどこまでできるのか?先輩達にも勝てるような武器(能力)はないのか?という事を探し始めました。勿論、その過程の最終目標は優秀な先輩達に少しでも近づく事です。

この「しょうがない」と思えた事が私にとっては大きな「気づき」だったようで、それからは自分から見て「優秀だなぁ~」と思える人には心から認められるようになりました。それでいて、「ここだけは負けないぞ!」というものも見つけることができました。

この私の「しょうがない」をカウンセリング的に考えてみると、「自己確認」のきっかけだったのかも知れません。人には誰しも長所があり、短所があります。あなたの周りにいる「優秀な人」にも必ず短所があります。私は「nao」という個人で「優秀な他人」には絶対になれません。私には私の持っている長所と短所しか使えません。
よく、他人と比べて、自分を卑下する人がいます。なぜでしょう?

それは、「無い物ねだり」だったり、わざと他人を評価して自分は駄目だと「逃げて」いませんか?実はあなたが見ている「優秀な人」はあなたを見て「この人は優秀だなぁ~」と心では思っているのかもしれません。

私は「駄目な人間」はこの世に存在しないと思っています。誰もが「優秀」な能力を持っていると信じています。大事な事はそれに誰よりも早く自分が気づいてあげること。そうすれば、他人の「優秀な能力」にも妬む必要がありません。だって、貴方にもそれに匹敵する「優秀な能力」を持っているのですから。お互いがそれに気づけたら後はそれを上手く使うだけ。「適材適所」とは正にこの事だと思います。

「相手を知り、己を知れば百戦百勝」

と言ったのは、中国の兵法家「孫子」です。孫子は「相手の事よりもまず、自分が何ができ、何ができないのかを知りなさい。」と言う事を強く言っています。「自己確認」をしっかりして、長所だけでなく短所にもしっかり目を向けて、「これが自分だ」と言えるようになれば、他人に怯える必要はなくなります。

私もカウンセリングを通して「自己確認」をしています。心理学を使って見えてくることは、意外に自分の「短所」が多いのですが(笑)「それも自分」と思える自分でなければ、クライアントにも「あるがままの自分」の大事さを伝える事ができないと思っています。

ジェームス・アレンの法則(4)

アレンは、人間のあらゆる行動は思考から生まれると考えました。そして、その人の周りにある「環境」はその人のいくつかの思考要素が密接に繋がっているもだと考えました。アレンの言葉を借りると、「存在の法則によって現在いるべき場所にいる」ということです。(勿論、「環境」を作り出している全ての要因が「思考」とは言い切れません。)

人間は学習し、成長するために、現在の場所にいるのだそうです。自分を外的状態の創造物と思っていると、「環境」に打ち負かされます。しかし、自分には創造力があり、自分の「内面」を変えることで、「環境」は思い通りになると理解できた時に、人は自分の本当の支配者になることが出来ます。

人は「環境」を改善したいと強く望んでいますが、自分自身を向上させることには進んで取り組みません。

「誇りに満ちた人生を実現しようと思うなら、大きな代償を払うのは、当然のことではありませんか?」

これが、アレンの厳しいところです。
つまり、アレンは、自分の目標が達成できないのは、環境のせいではなく、あなた自身の努力が足りないせいだ!とはっきりと、そして、力強く叫んでいるのです。

私はこの章を読んでいて、「鋼の錬金術師」に出てくる「等価交換」という言葉を思い出しました。何かを作り出そうとするのならば、それと同等の対価を払わなければならない…アレンが言っている事と似ていると思いませんか?
僕自身、アレンが言うように自分の「夢」に対して同等の「代償」を払っているとは思えません…このアレンの「思考」と「環境」との考え方は、私に強い戒めと勇気をくれます。

あなたは、自分の望むものにふさわしい「代償」を払っていますか?

払っていない…と気づいても、落ち込むことはありません。大切なのは、その事に「気づき」それを「意識」する事。
あなたが今置かれている環境は、良い環境でも、悪い環境でも、あなたにとって必要なものなのです。その環境が語りかけている「答え」は自分の内面にありますよ。

ジェームス・アレンの法則(3)

今回は序文の「思考と人格」の話を中心に書きたいと思います。

「人は、心の中で密かに考えた通りの人間になる。」

これがアレンの法則の大前提です。人間のあらゆる行動は、思考から生まれるというのが、アレンの考え方です。つまり、自分の思考が「原因」であり、その思考が原因で「結果」が生まれるということですね。(ピーター・セツさんは、「結果」と訳さず、「影響」と訳していますが…)

アレンはこの事を作物を例にして説明しています。人は思考という種を撒きます。その種が悪い物であったら、育つのは苦い実になります。しかし、良いものであれば、甘い実が育つと言う事です。当たり前ですが…

詳しくは、ぜひ、本を読んでみて頂きたいのですが、僕が、このアレンの法則に惹かれたのは、アレンの考えはカウンセリングの考え方と似ているからです。カウンセリングの考えの原点は、「自己責任」です。つまり今、自分に起きている事は、全部、自分が選択した事だ。ということです。(意識的にも無意識的にも)アレンの言う法則はまさしくその事を言っているように感じます。

このアレンの法則を知って、僕は色んな事で自分に問いかける事が多くなりました。よくあるのが、他人に腹を立てた時。昔は「あの人が…」と考えていたのですが、最近は「自分の中のどんな思考が原因で腹を立てているんだろう…」と考えるようになりました。勿論、ちょっと落ち着いてからですけどね。(笑)

よく、「自分を責めるな!」と言われますが、「責める」のではなく「問いかけてみる」事は大事かな?と僕は思います。「自分が悪いんだ」ではなく「自分のこんな思考が原因でこんな嫌な事が起こったんだ」と思えるようになると、腹立たしい事も、嫌なことも、自分の内面を発見するいい機会におもえてくるような気がしませんか?(笑)次回は「思考が環境に及ぼす影響」について考えてみたいと思います。

前回は日経BP企画さんの「原因」と「結果」の法則をご紹介しましたが、僕が今、読んでいるのは、このピーター・セツさんが訳している本の方です。こちらはアレンの原文が載ってます。日経BP企画さんのシリーズを読んでからこちらを読むと一段と理解が深まるような気がしました。

ジェームス・アレンの法則(2)

ジェームス・アレン特集の第一弾は彼のプロフィールから始めようと思います。

ジェームス・アレンは1864年11月28日にイギリスのレスター州と言う所で生まれました。アレンが15歳のときに家の事業が失敗し、父は求職のために渡米しますが、家族をアメリカに呼び寄せる前に殺害されました。その後アレンは学校を退学し、1902年までイギリスで幾つかの製造メーカーで働きます。その後、彼は作家となるわけですが、その活動期間は短くわずか9年間でした。その9年間で19冊の本を執筆しましたが、1912年に他界しています。

「原因」と「結果」の法則の原書、『AS A MAN THINKETH』(直訳では「人は考える」と訳すそうです。)はアレンの著書の二作目にあたり、アレンの妻の強い要望で出版され、後にベストセラーとなりました。

「体験知」と言う言葉があります。読んで字の如く、「体験して知る」と言う事なのですが、人は、知識を実際に体験することで、その知識を本当に「理解」できるのです。僕はアレンの文章からとても強いパワーを感じるのは、これがアレンが実際に「体験」したからなのだろうと思います。

只の「理論」ではなく、「体験知」から語られる「哲学」。次回はこのアレンの法則の内容を僕なりの解釈で書いていきたいと思います。解釈というよりも、自分が経験した事をアレンの考えで考えてみると納得したというようなことを書いていきたいと思います。

ジェームス・アレンの法則

みなさんは「原因」と「結果」の法則という本をご存知ですか?

本屋さんには「自己啓発」のジャンルで置かれているようですが、内容は哲学です。僕はこのアレンの法則に凄く惹かれました。そして、アレンの法則にはカウセリングにも通じる考え方が散りばめられていると僕は思います。これからは何回かに分けて、この「原因」と「結果」の法則を自分なりに解釈してみようと思います。

既に読んだ事がある方にはその深さを再認識してもらい、まだ読んでない方には僕の解釈で興味を持って頂けると嬉しいです。

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