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もろもろの葛藤と一つずつ向き合う

「い~んじゃ~んでほいっ!」 グリコ、チヨコレイト、パイナツプルといいながら、階段を上がる遊びを思い出しました。誰に教えられたわけでもなく、自然に覚えましたね。相手の姿が見えなくなっても、声は届いてきます。階段の上にご褒美があるわけではなく、ただ一段一段を声をだして踏んで上がることが楽しめた遊びでした。相手より先に上に辿り着くと、ちょぴりうれしかったものです。晴れた日も雨の日も遊びました。周囲の大人たちも、子供たちの遊びを温かく見守ってくれていました。ただ一つ、一人ではできない遊びだったことは確かでしたね。2人でそれ以上で、同じ階段で楽しく遊び、笑顔を溢れさせましたね。とても懐かしく感じます。

「われわれは一生をかけてわれわれ自身となる」

一段一段、踏みしめて上がる階段は、人生そのものだと感じることがあります。自分の考えたことを、自分の考えた行動にして、しっかり上がる、その周囲には、人生の先輩の優しい視線がありますね。階段を上がりながら、それぞれの人格を育てて、それぞれのペースで成長していきます。ウイーンの医師、ジグムント・フロイトが、人間の精神を分析する方法を発見したのは有名ですね。そのフロイトが、1923年から1人の人間の人格を「エス」「自我」「超自我」と区別しています。人格って人それぞれのユニークな構造をしていますね。私はこのそれぞれが大好きなんですよ。それは、自分の心や周囲の環境に適応しようとするときの行動です。また人格は、青年期の終わりに完成して統合されるといわれていますが、葛藤は生涯続くものであり、人生は、自分という存在を作り上げる素晴らしい過程だと思います。

自己を獲得していく

人間は 本能が完全に壊れた状態で生まれるといわれます。人間は生まれると、まず感覚のレベルでの意識で成長を始めます。自分が無条件で愛されているか否かを察知する感覚を、誰もが秘めているのです。心身ともに、「誰かに」かかわりを持ってもらっていると安心を得て、人間としての最初の基本的信頼を覚えます。
しかし、この時期に身体的な接触が少ないと、自我が芽生えず、また、逆に過度のかかわりは、自我が未熟のままで留まってしまいます。

時間というものは、人間の成長には関心を示しません。未熟なままでも、それは人間の内部すなわち心の成長の過程であり、外見はどんどん大人になっていくのです。自我が芽生えると、今度は母親の持ち物でない自分というものが生まれます。そこで、その自我の芽生えが別離や拒絶ではないことに気が付くはずです。いや気が付くように環境を整えるのは、母親を始め、かかわり持つ人間の重要な役割です。その時期に、もう既に、青年期のアイデンティティ確立への準備が、始まっているのです。

自我が未熟のまま、感覚的レベルの大人に外見だけ成長すると、自分の内面の虚しさを満たすために、いつも感覚や体験を求めて彷徨うことになるでしょう。自分として生きていますか?経験するために生きているのですか?自分を失わず相手と出会うことができますか?
感覚的レベルの大人の自由とは、身体的な自由を意味し、愛は誰かと結合することであり、死は苦痛からの解放なのです。

アイデンティティ確立には、葛藤すなわち危機があって当然です。「自分とはなんだろうか?」「どれが本当の自分なのか?」ここで自分で自分を作る心の動きが始まります。相当なエネルギーが必要でしょう。今まで他人を同一化してきた動きが、自分で自分を作るプロセス「自己決定」「自己責任」へと自己を獲得していくのです。

感情の揺れは誰にでもある

思春期に、誰もが自我同一性の確立に向かって、危機と呼ばれる時期を体験します。思春期は、まず身体的に、子供の身体から第二次性徴(女らしい、男らしい)の変化がみられますね。それを受け入れながら、精神的にも親から自立していく時期ですね。この身体的変化やそれに伴う激しい感情を自分なりに受け入れることが大切です。同時に友人関係にも変化がみられ、親に秘密を持ったり、同姓の仲間との親密なグループを作ります。ここで大切なのは、親の役割です。今までのように子ども扱いをして保護してあげるという感覚ではなく、親は親、子供は子供という存在を認めながら、新しい関係を築き上げるのです。この親も中年期の変化の時期にあると言え、自分が乗り越えてきた思春期の危機が大きく影響してきます。

つまり思春期は、大人へ大きく変化しようとする心身を、いかに自分で受け入れ、その周囲の方々も同じように受け入れていくかが、とても大事になりますね。母子分離や依存の気持ちなど、感情の揺れに伴う不安は、誰もがあって当然なのです。「心ざわざわ」がよく奏でます「自分の足で歩く」という表現は、この時期を指しています。他人の評価より、もっと大事なことに気が付くと、自然に自分の足で歩き始めるでしょう。不自然な生き方を、自然に戻すことの喜びを感じる自分が生まれてきます。

自己同一性(アイデンティティ)の確立

あなた作りのお手伝い(アイデンティティ)

「私は私だ」自信を持って下さい。「あなたはあなたです」自分という存在に悩む方が多くいらっしゃいます。自己同一性(アイデンティティ)の確立は、時間をかけ、段階を経て、ゆっくりできあがりますので、まず焦らずに、ゆっくり悩んで下さいね。自分は自分であるという感覚がしっかり存在し、それは過去から現在の自分が、連続性を持って存在していることを認識して、そして、~としての自分という感覚と、それがうまく統合されていることが、つまり、主観的な自分と社会的な自分、この二つの感覚が安定して結びついていることを、自己同一性(アイデンティティ)と言います。

この世に生を受け、口唇期に母親を通して、外界との信頼関係の基礎を築き、肛門期に自律を獲得しながら、疑問を抱くことを覚えて、次に性器期には、自発性を習得し、同時に罪の意識との葛藤も覚えます。潜在期には、好奇心や欲望も生まれ、数々の葛藤を経験します。ここまでの学齢期で、周囲の環境が大きく変わることに適応しながら、社会の中で「~としての自分」(アイデンティティ)を獲得していきます。そう大人の自我を身に付ける準備段階ですね。思春期は、過去と未来の連続性を確立し、傷つきやすさと力強さが混合します。青年期には、自己(アイデンティティ)を確立するも、役割が拡散してしまう猶予期間でもあります。人は、何十年もかけて、自分というものを獲得していくのですね。

自分として生まれ、ここまで歩いて来たあなた。立派ですよ。とても素晴らしいことだと思います。自分という存在に悩んでいる方は、今、自分探しではなくて、今、自分作りを始めませんか?まず自分で自分のすべてを、真っ直ぐに見つめて、すべてを自分で受け入れて下さい。これも私、あれも私、そうすべて自分なのです。次に、その自分で自分の素晴らしさを見つけて、自分らしさを作りましょう。そこで周囲に目を向けて下さい。色々なものが見えてきます。今のご時世、環境問題が大きく取り扱われています。だからこそ、自分をしっかり見据えて、自分として存在(アイデンティティ)を獲得していきたいですね。

ようこそ!私の感情

どうしたのかな?冴えない表情、しんどそうですね。そうなのね。毎日何だか不安で辛くて、心がすっきりしないのですね。そうなのね。あのね、一つ聴いて下さいね。諸々の不安は逃げると、いつまでも、付きまとってくるんですよね。辛さや不安を感じるのは、自分の感情ですものね。そのせっかくの自分の感情を誤魔化して逃げ続けると、その感情はいつまでも付きまとうのですよね。だって自分の感情ですもの。三位一体ですね。心と体と頭は、すべてあなたのものですもの。逃げ出したいくらい嫌な感情を、振り払おうと頑張ると、その感情は益々あなたに付きまといますね。そして、あなたは感情に振り回されてしまいますね。あなたが振り払おうとしている感情を、両手を拡げて受け入れてみましょうか。
ようこそ!私の感情。

どうかな?その感情をみつめてみましょうか。何故その感情が生まれたのでしょうね?そうなのですよ。ここから紐解きが始まりますよ。紐解きは自分でするのが基本ですね。自分でするから納得できて、自分のものになるのですね。安心してくださいね。「心ざわざわ」が、紐解きのお手伝いをさせていただきますよ。

今、色ペンを1本だけご用意下さいね。あなたの心の感情のノートを開けてみましょう。では先ず、劣等感という文字を塗りつぶしましょう。次に、積極的という文字にアンダーライン、自信という文字に大きく丸印、完璧主義という文字には疑問符を付けましょう。どうかしら?そして、付け加えて下さい。石橋を叩いたら渡ってみましょうとね。そうなんですよ。大事なことは、過去に拘るより、未来を不安がるより、生きているのは、今なんだと自分に語ってあげてくださいね。ちょっとの勇気とちょっとの努力で、やれば出来ると自信を持つ自分をイメージしてみましょうか。当たって砕けろくらいの気持ちをイメージしましょう。でも、まだまだ不安ですよね?焦らないで、ゆっくりいきますよ。そうそうもう一度ペンで、失敗という文字の上に、成功の元と記して下さいね。

あなたの感情、素晴らしいのですよ。あなたが感じるから素晴らしいのですよ。あなたの心の感情のノートが華やかになりましたよ。とっても綺麗ですよ。

現実の自分を認める

他人と関わるのが怖いと言うあなた。誰もあなたを取って食べたりしません。そうあなたは他人が怖いのではなく、他人が自分をどう見ているかが不安なのです。自分がどう評価されているかが気になり、自分は他人の期待を裏切っていないかが気になり、自分は他人が望む完璧を演じられないと気になり、駄目な自分をさらけ出すのが惨めになる。そこで考えてみましょう。

あなたの瞳はあなたの視線ではなくなっています。あなたの瞳は他人の瞳となり、あなたを見つめているようですね。そして理想の自分を他人の視線で幻想しています。幻想の自分と現実の自分の違いを受け入れることを拒否し、幻想の自分を演じることだけにエネルギーを使って、疲れ果ててしまいます。

ここでひとつ、白雪姫の話に出てくる義母をご存知ですね。「鏡よ。鏡。この世で一番美しい人は誰?」と毎日尋ねます。「それはあなたです」との言葉を聴くと安心します。

鏡というものは ギリシャ神話のナルシスの話でも出てきますね。理想の自分を高く掲げることは素晴らしいことです。しかし、現実の自分をまず捉えてからの理想ですね。白雪姫の義母は実の母親だという説もありますが、現実の自分を認めず、誇大な理想の自分を鏡を通して確認し安心を得ています。

鏡にしろ他人にしろ、自分というものが分からないので、それらの視線で自分の存在を確認して生きているのです。いいえ、生きているのではなく、生かされているのでしょう。偽りの自己で生かされているのでしょう。

では、ここで、その鏡を割ってしまいましょう。思い切って壊しちゃいましょう。そして瞳を閉じて、自分のことを見て下さい。
こんな失敗をした。次に、これをしたい。そして、これはできない。最後に、これならできる。

現実の自分を認めることです。見えるまま、感じるまま、自分ってこうなんだ、と認めることです。それがあるがままの自分です。

他人の評価がなくても、自分の存在が実感できるようになります。同時に他人の評価は、参考書程度に考えて下さい。

心には、自然な治癒力があります

すべて自分の感情。人間の不安や葛藤・悩みは、必須のものです。
それらの感情は自然のものです。悩みのない人や不安のない人はいません。
何故ならば、すべての感情の根底にあるもの、それは「生」という欲望だからです。
不安や悩みを取り除きたい、不安や悩みから開放されたい。
ちょっと考えて下さい。逆に、焦燥感が生じ、それらの自己の感情に囚われていませんか。
「生」への欲望を抑えてしまうと、益々焦燥感が強くなります。心と体が矛盾を感じて、それに囚われて、不安や悩みの迷路から抜け出すことが出来なくなります。
人間の感情は、辛い・悲しいだけではありません。嬉しい・楽しいも同じ感情です。これらすべての感情を、自己の「生」を根底にした自然なものであると捉えて下さい。
凡て自己の感情ですので、責任はありません。逃げる必要は皆無です。抑える必要はありません。
あるがままにとらえる。先ずこれから始めましょう。しかし、自己の行動は責任がある。このことは頭の隅に留めておいて下さい。迷路は 自分で抜け出すことに意味があります。
出口から目を逸らしている、出口を見つけても一歩踏み出す勇気がない、出口の向こうに何があるかと不安になるのでしょう。別の出口を探しますか?自分で出口を作りますか?
このページをお読みになっているあなた。実はもう出口を一歩踏み出したんですよ。素晴らしいことです。
疲れたら休憩し、決して頑張らない。この世に、完璧なことはあり得ない。マイナス感情で、何事も決め付けない。他人の目を通して、自分を評価しない。
大事なことは「自分の感情から逃げない」こんな自分、これも自分、全部自分。自分で認めて下さい。「心ざわざわ」は、発想の転換の場です。そうです。心には、自然な治癒力があります。

あなたの心、余裕がありますか?

愛。他人に対しての自分の心の大きさ。自己愛。あるがままに、自分のすべてを受け入れること。信頼。心と心の繋がりの深さ。やはり、心。やはり、余裕。あなたの心、余裕がありますか?

その瞳は、輝き、深く、穏やかに。自分を信じる心は、静かに、燃えはじめる。やがて、心に余裕を、目覚めさせて、あなたは、誰よりも、素敵になる。そして、あなたよりも、あなたらしくなる。今、あなたは、素晴らしい。その瞳のように、心が輝き、その瞳のように、心が穏やかになる。そう、今、あなたは、素晴らしい。あなたよりも、あなたは素晴らしい。

今を生きること

私は完璧な人間ではありません
そして、完璧な人間を目指していません。ある日、「白か黒か」の問いかけに、とんでもない「赤です。いや、黄色かな」と答えました。何故ならば「赤色と黄色のどちらも好き」だから。「たまには 白もいいですね」とも付け加えましたね。ええ、私は完璧な人間ではありません。そして、完璧な人間を目指していません。何故ならば、「赤色が好きな私、黄色が好きな私。たまには白もいいかなって言っている私」どの私も好きだから。はい、パレットは枠のない木製の大きな一枚もの。赤色と黄色が混ざって、緑になるのも楽しいって感じていますよ。新しい色が生まれるのが楽しいんですよ。

■相対的関係
欲望と恐怖は、相対的な関係にある。森田正馬氏曰く「生の欲望と死の恐怖について、人が病を恐れ、死を恐れるのは、この生の欲望をまっとうするためである」つまり、生きる欲望の中に死の恐怖が含まれる、ということ。悩むことの肯定、悩みのない人間はいない。悩みの大小は問題でなく、悩むことをするかしないか、悩むことを感じるか否か。悩みの根底は「生きたい」という欲望である。それ故悩むことを取り除こうとすると、「生きたい」という欲望をも否定してしまう。悩みがあって当然、だから人生に深みが出る。生の欲望。生の欲望をまっとうするために「悩み」が生まれる。過去に拘る、未来を恐れる、そして、現在。この3つの相対比率、現在を重視し、比率を高めると、自然に過去と未来の割合が下がる。今を生きる。微妙なバランスがある。

■気配り上手
美しい日本語ですね。気配りという言葉。あなたは気配り上手ね、といわれて、うれしいですね。今日は、ちょっと立ち止まって、考えてみましょうか。その素晴らしい気配り、どこに向いていますか?はい。今日から、自分にも気配り上手になってみてくださいね。最高の気配りができますよ。あなたの素晴らしい心が、大喜びです。今日も、ありがとう。

■心配は素晴らしい
「明日、新しい場所に行って、初めての方にお逢いするんです」気になりますね。どなたでも同じですよ。ドキドキの響きが、人それぞれなんですよね。心配って、心がドキドキですね。素晴らしい響きですよ。心配りの素晴らしい響きです。自分に心配りができるあなた、素晴らしいですね。とっても素晴らしいですよ。

■あなたの道
道を探す楽しみよりも、道を自分で創るうれしさがある。そう道を歩くためには、まず道を創ることから始めよう。寄り道も休憩も、それは道なのだから、喜びも悩みも、それは道なのだから。止まることなく歩む姿が、道なのだから。道を自分で創るうれしさの中から、幸せや輝きが生まれ、あなたの道となる。あなたの道は素晴らしい。

■好きなことは、自分で見つけるのがいっちゃんええ
「どうしたらええん?」口癖になっていませんか?「何でもええから、やってみはったらええんよ」私の口癖です。「方法がわからへん」「何したらええかわからへん」この二つの言葉は異なりますね。誰かが喜ぶから、始めるのではなく、自分が楽しいから、始めてみる。楽しいことは、楽に繋がりますよ。

■錨(いかり)をおろして、地球を一周する気分
あれ?船は錨をおろしたままでは、動かないよ。と、言葉が聴こえてきました。この言葉は、私が日々感じる気持ちを例えたものです。まさしく私はこの気持ちで過ごしています。錨、あなたはおろしていますか?

■甘えていますか?
自分に甘えていいんですよ。甘え方を知っていますか?自分に甘えるんですね。そうそれが癒しなんです。私は、やはり笑顔ですね。自分の笑顔を自分に贈る。これが私の癒しです。素敵な癒し。あなたの癒し。素敵なあなたの素敵な癒し。溢れていますね。素敵なあなたが。

■深呼吸をすると、幸せが体の中を包んでくれる
そんな気がします。すると、心が喜ぶんですね。とっても良い笑顔をみせてくれます。肩に力を入れて、一生懸命にがんばっていると、心にも力が入ってしまうのですよ。心のマッサージ。大きく深呼吸をして、心をマッサージしてくださいね。あなたの心、あなただけの心。とっても素敵ですよ。

これも私。あれも私。全部私

あるがままに認める。心と体は繋がっている。同じ方向を向くときもあり、背中合わせのときもある。しかし、どちらの場合も自分の心と体である。自分の心と体に、向き合うこと。逃げずに向き合うこと。自分を真っ直ぐ見ること。他人の目を通して自分を見ても、ベールを被せて自分を見ても、偽りの自分しか見えない。充実感・満足感は、偽りの自分からは感じることはない。これも私。全部私。しっかり、見つめて、全てを認めて。これも私。全部私。感情には責任がない。自分の感情は、あるがままに認めて。あるがままに全てを認めて。

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