大事なのは、今です
摂食障害・過食症の相談NPO法人心ざわざわに、たくさんのお問い合わせをいただいており、この症状に悩む方々の多さに心が痛みます。ご縁があり心ざわざわをお訊ねくださった方々は、それぞれの思いを抱えながら、日々コツコツと歩いてくださっております。山谷はありますが、自分らしさを探しながら、愛を求めながら努力を続け、ゆっくり進んでいらっしゃいます。皆様に心より感謝し、皆様の幸せを願って止みません。心ざわざわは、拒食過食嘔吐その他の症状で苦しんだ20歳30歳代、命を捨てることしか考えられなかった日々、幼少時のトラウマ、信頼できる主治医との出逢い、心の葛藤、結婚、離婚、前夫の死、新しいパートナーとの出逢いなど、色々なことがありましたが、今では、すべてを「私のこと」として受け入れて、自分らしく生きています。 精神作家として看護師として、何よりも「岡本理香」として、これからも歩き続けていきます。穏やかに支え続けてくださった主治医、出版エッセイで綴りました克服のきっかけをくれた心の友、職場での諸先輩方、友人知人に、今、心より感謝し、何よりも黙って、ひたすら娘を信じてくれた母の存在に、素直にありがとうと伝えたく思います。
今、この症状に悩む方々に心ざわざわの出版本、サイトのメッセージ、メールや面談での言葉のやり取りで、一歩前へ踏み出すきっかけを掴んでいただければと願っております。克服のきっかけは?と、よくご質問をいただきますが、過食をやめようとか嘔吐をやめようとか、また環境を変化させたなどではなく、まして家族関係が良くなったとかでもなく、母親にも前夫にも告知せずに、信頼する主治医の診察を受け続け、友人に手紙を毎日書き、今ある症状や状態はそのまま自分の一部として受け入れて、自分の感情や考えを内省したことが大きいと思います。主治医の大きな存在に、信頼という言葉を知り、友人への手紙の文字に思いをぶつけながら、自分を見つめ、自分の目標が抱けるようになり、視野が広がっていきました。小さな達成感を味わいながら、自分を褒めて自信へとつなげ、物事の考え方を換えるリフレーミング方法、他人との価値観の違いがあることや不安や悩みは誰もがあることを受けとめていくようになっていきました。いつしか「私は私」と笑顔で、堂々と生きていけるようになりました。目に見えないものや耳に聴こえていないものに、怯えたり不安を抱いたり怒ったりすることもなくなりました。ゆっくりですが、今するべきことをするという行動が習慣となり、自分と他人の価値観の区別がつき、自分に嘘をつくことをやめて、ずっと負担を掛け続けた自分の身体を、何よりも大事に労わるようになりました。すると、寂しいと叫ぶこともなくなり、愛してほしいと願わなくなり、愛することに幸せを感じるようになりました。10年間の苦悩が波が引くように、スーッとすべての症状が消えていきました。
過食嘔吐薬物と縁が切れ10年、40歳代も半ば、ここまで導いてくれたのは、やはり、人と人の関わりでした。その貴重な時間の中で、自分で感じて自分で考えたことを自分の形として習得表現できるようになりました。新芽が吹くように、自分に信頼感を持ち、自分という存在に自信が生まれ、自分を愛するようになりました。発症から20年余、貴重な20年余。心ざわざわには、大きな力はありません。それぞれの人の価値観を換えたり、生き方を教えることもできません。ただ一歩前に踏み出すきっかけ作りが出来ればと願っております。治る力は、個々が持っています。それを上手く使えるように、お手伝いをさせていただきたく思います。
心ざわざわにメールをくださった方々は、そこで既に一歩前に進んでらっしゃいます。そして「治したいんです」との言葉で、もう三歩前に進みましたね。何度も申し上げますが、大事なのは、ご自身が「治したい、治す」という気持ちを持つことです。山谷はありますが、諦めずに、自分を信じて、マイペースで歩くことです。がんばるよりも、マイペースを掴み、自分の身体と心を労わってあげることです。自分のいいところに目を向けて、目を逸らしたいところも、自分なんだと笑っていえるようになれば、とても楽な生き方ができます。自分が愛しく感じられ、心も安定してきます。ないものを探すより、あるものに満足を得る自分がいるんですよ。自分が存在していることに、素直に感謝する日が必ず訪れます。あなたに訪れます。心ざわざわにも訪れたように、あなたに訪れます。「ありがとう」という気持ちが自然に溢れてきます。あなたにありがとう。私にありがとう。
「思春期やせ症」
私も若い頃は、完璧主義の優等生、何事にも拘りが強く、人と変わったことを好む性格のようでした。18歳の時に一度、激やせを経験したようです・・・残念ながら、20歳過ぎまでの記憶がありませんが・・・学院長賞をいただき看護学校を卒業、社会へ歩み出た時期に、拒食が始まりました。症状が強くなり、体重が33キロの針をきったとき「このまま20キロ代へ」という気持ちと同時に「生きていられるのか?」と恐怖感も覚えました。諸々に感化されて、過食嘔吐の毎日。受診・服薬療法、勤務先の病院、大手の書店、百貨店の食料売り場と自宅の往復だけの時期、今は懐かしく感じます。大学に通い、症例研究や論文など、とりつかれたように勉強をしていましたね。今考えると素晴らしいパワーですよ。 勤務先は変えても、看護師という仕事は、続けなければならないと義務感のような、いや、今思えば、あれは命綱だったと思います。
私は、心ざわざわのサイトでは、若い頃の話はほとんど記述していません。出版本「死んだら、アカン」では綴っています。その頃、どんなにボロボロであっても、一生懸命に生きてきた私も私です。その頃があるから、今があります。過去のこともすべて丸ごと、私であると確信しています。過去に拘るより、今を生きることを大切に感じ、今、命があることだけで十分に幸せだと感謝する気持ちが大きくなりました。「もっともっと」を「これで十分です。おおきに」って思うことができるようになったのは、いつだったかしら?今、自分が持っている宝物を、しっかり磨くことが幸せだと感じ始めたのは、いつだったかしら?余裕という言葉と余分という言葉の本当の意味が体得できたのは、いつだったかしら?当たり前を捨てる智恵がフル活動し始めたのは、いつだったかしら?そして、本当に大事なことが分ったのは「おかげさまで、ありがとう」の穏やかさが芽生えたからだと思います。
今、素直に「生きている自分がいる」ことに感謝しています。面談でお逢いする方には、ご質問があれば、私自身の色々な波乱万丈(笑)な過去のお話も客観的にさせていただいています。現在の拘りのある生活も、じっくりその目で見ていただいています。しかし、大事なのは、今です。今どうするかですね。心ざわざわを訪れてくださった方々は、夜空を見上げながら流れ星を見つける喜びと同じくらいの出逢いだと、私は感謝しています。その中で、タンポポの花のような自然な生き方を楽しむことを感じていただければ、うれしく思います。今日も、おかげさまで、ありがとう。
